「チベット医学(注1)をもっと積極的に日本に広めないのですか」という質問を受けるたびにちょっと困ってしまう。そもそも「広める」という能動的行為がきわめてチベット的ではないような気がしていたのだが、なるほど、歴史を調べることで納得がいった。それはキリスト教と仏教を対比することでわかりやすくなる。
キリスト教(チベット語でイシュー)は「すべての人たちにキリストの教えを布教、伝道すべき」という福音主義が基本にあり、宣教師(修道士)たちが世界各地へと命がけて旅をしてきた歴史がある。イエズス会のザビエルが日本に来たのは1572年。修道士たちの日本での受難は映画『沈黙』のなかで描かれ、「キリストと同じ受難を与えたまえ」という思想によって受難は受け入れられてきた。そしてもっとも到達するのが困難な地域の一つであるチベット文化圏に最初に足を踏み入れた修道士はポルトガル人のアントニオ・デ・アンドラーデで、1624年に北インドのラダックに到達し、そのまま現地で没している。
イタリア人のイッポリト・デシデリ(1684~1733年)はイエズス会の命を帯びて1700年にローマを出発しインドのゴア、デリー、カシミールを経由して1716年にラサに到着している。1721年まで5年間カトリック布教を目的としてラサに滞在し、チベット語と仏教を学んで討論したほどに熱心であった。
フランス人カトリック神父のエヴァリスト・ユック(1813~1860年)は海外布教を目的として1839年フランスを発ちモンゴルを経て1846年1月にラサに到着。3月15日まで2ヶ月半滞在したが、チベット政府から退去を命じられ帰国している。
僕が北インドのダラムサラ(チベット亡命政府がある)に暮らしていたとき(1999~2009年)にも宣教師が2名滞在していて、聖書のチベット語訳に取り組んでいた。しかし、僕の知る限りにおいてキリスト教に改宗したチベット人は誰一人としていない。だからといって彼らが宣教師たちを敵対視していたわけではなく、宣教師たちはチベット社会に溶け込んで仲良く暮らしていた。
いっぽう仏教には福音主義に相当する教義は存在しない。仏陀が五人の弟子に請われてはじめて教えを与えたように、教えの請願が最初にありきとなる。その構図は四部医典にも踏襲されており、156章のすべてにおいて「おお、智慧の聖仙よ、どうか医学を教えてください」と請願が冒頭に記されている。したがって、三蔵法師が仏典を求めて天竺まで旅をしたように、または8、9世紀に多くのチベット人がインドにまで出かけて仏典を持ち帰り、または頭を下げて仏教学者を招聘したように、さらには1900年、河口慧海が真の仏典を求めて命がけでチベットに潜入したように、基本的に仏教の姿勢は「受け身」であり、それでいて、仏教を求めて辿りついた人は誰であれ温かく迎え入れる。
このように布教の概念はないけれど、「仏法がベーメー(労せず)フンドゥブ(自然成就)に世界中に広がっていきますように」という回向の思想は根ざしている。一人一人が努力を怠らず修行していれば意図せずとも必然的に「広まる」、つまり自動詞的な姿勢である。こうしてキリスト教と比べることで、「広める」という他動詞がチベット的ではないことがわかってくる。
しかし1959年の動乱によって、チベット仏教は難民とともに外へ向かわざるを得なくなり欧米人たちの知るところとなる。そして、もともとがキリスト教的な姿勢を有する欧米人たちがチベット仏教に関心を抱くことによって能動的に世界中に広められていった。チベットの医学もまた、1980年代にアメリカ人によって刊行された3冊の書籍(注2)を契機に広く知られることとなり、その果てに1997年僕は高崎駅3F熊谷書店で出会うことになる。そして僕が受験した2001年のメンツィカン入学試験(第15話)に過去最多の500人の申し込みがあったのは、外国での人気がチベット社会に逆輸入された結果である。その意味では欧米人たちがチベット仏教、チベット医学を福音主義的に拡散していくことを批判的に解釈するものではけっしてない。
とはいえ、仏教の歴史を有する日本における立場としては、やはり「広める」ではなく「広まる」という仏教的な姿勢が相応しいと僕は考えている。
注1
そもそも、チベット医学という呼称は1960年以降、外国からの視点によって生まれたものであることは第278話で論述した。ここでいうチベット医学とは、八世紀に起源を有する『四部医典』に基づく教えを指すこととする。
注2
・ジョン・F・アドベン『In Exile from the Land of Snows』。
邦題『雪の国からの亡命』(地湧社 1991)
・テリー・クリフォード
『Tibetan Buddhist Medicine and Psychiatry-The Diamond Healing』
邦題『チベットの精神医学』(春秋社 1992)
・トム・ダマー『Tibetan Medicine, And Other Holistic Health-Care Systems』
邦題『チベット医学入門』(春秋社 1991)
参考文献
『チベットの報告1』(イッポリト・デシデリ 東洋文庫542 平凡社1991)
『韃靼・西蔵・支那旅行記』(エヴァリスト・ユック、ガーベ 原書房 1980 原書は1939年)
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