隣の竹やぶに生える15mほどの大木の伐採を頼まれた。「ウルシかもしれないから気をつけて」といわれたので、注意して観察すると、なるほど羽状複葉(注1)の形態と樹皮の様相から推察するとウルシである。安易に伐採すればかぶれてしまう。そこで念のために伐採を半年後の秋まで待つことにした。ウルシならば必ず真っ赤に紅葉するはずだ(と思いこんでいた)。さらに念のためにナタで樹皮に傷をつけてみた。ウルシならば白い液が出てくるはずだ。そうして迎えた11月、葉は黄色いままで紅葉しない。樹液も滲出しない。同じく羽状複葉のアオダモかと候補があがったが、この辺りでは聞いたことがないという。仮にウルシであったとしても、僕はいままでの経験でウルシに強い体質であると自認していた。なにはともあれ未確定のままにチェンソーで伐採したところ、切り株からジュワーと大量の白い液が出てきた。それでもまだウルシではないと思い込んでいる僕は薪にするつもりで伐採の勢いそのままにチェンソーで1mほどに玉切りし、切り屑のシャワーを浴びた。
そして翌朝、両手がかぶれはじめて、ようやくウルシであると確定に至ったのである。改めてインターネットで「ウルシ、紅葉しない」で検索したところ、「本漆(ホンウルシ)は樹皮を傷つけられるまでは紅葉せずに黄色い」という解説を発見したのは後の祭り。樹皮へのナタでの切り込みはまったく浅かったようだ。また、いままで僕がウルシだと認識していた低木はヤマウルシで、ウルシほどの効力がないこともようやくわかった(注2)。さらに二日後、口から吸ったウルシ成分が廻ってきて腹部にも発疹がではじめた。これが痒いのなんのって。うっかりならともかく、熟考したうえでの失敗だけに余計に悔しい。悔しさ紛れに別所温泉の外湯で見事な漆かぶれを披露したところ、常連の古老たちの記憶のスイッチを押したようで、ウルシに関する思い出話に花が咲いた。
かつて、それはおおよそ70年前までのこと、森のくすり塾がある野倉周辺にはウルシがたくさん生えていて定期的に漆掻きがやってきた。漆掻き職人さんたちの手が真っ黒で、独特の匂いが漂っていたのを子ども心によく覚えているという。学校の元先生は「遠足にでかけたとき、生えている木で箸を作ってお昼を食べたところ、それはウルシで、児童全員の口がパンパンに腫れてしまってねえ。いまなら新聞やテレビで大騒ぎになっていたよ」と笑いながら語ってくれた。
そのほか水に腐りにくいから土手止めや杭にするといいいぞとアドバイスをもらった。ウルシの木を燃やせば有害物質が発生し、その煙は喉に炎症を起こさせるので薪には厳禁である。利につけ害につけ、こうして人間との緊張感あふれる共生関係のなかで、ウルシの知恵は受け継がれてきたことがわかる。そして僕もウルシにかぶれるという通過儀礼を経たことで、その共生関係の一員になれたという誇りが芽生えてきたし、なによりもウルシの鑑別能力が磨かれたのは大収穫だ。ちなみにチベットでウルシの木はセ・シン、樹液はシュリ・キャンダと呼ばれ、八世紀に起源を有する四部医典に瀉下薬として記されているが現代では薬として用いられていない(注3)。
漆塗りの歴史は古く縄文時代の遺跡から発掘されている。採取された樹液は木椀などに塗られて腐食を防いだ。いわゆる漆塗りである。また漆の実からは蝋が採取できた。江戸時代、米沢藩主の上杉鷹山は百万本の漆を植えることで藩の財政を立て直そうとしたことは有名である(注4)。しかし戦後、合成樹脂の普及とともに漆塗りの需要は激減し、漆掻き職人たちも激減した(注5)。利がなくなれば害しか残らない。ウルシは有害樹木として各地で早期伐採の対象となり、樹液がとれるほどの大木は希少となった。今回伐採した大木はたまたま竹藪のなかで目立たずに成長し、昨年の竹藪伐採に伴ってはじめてその姿を現していた。それだけに惜しいことをした。
伐採したウルシの写真をフェイスブックにアップしたところ、三重県の製材業者さんから連絡が入り、軽トラックではるばる引き取りに来てくれた。製材すると独特の黄色い風合いで希少価値が高いという。家具として生まれ変わるならば、この苦労は利として報われるというもの。もしも次回、ウルシの木を見つけたら、樹液を掻いて素人ながらに漆塗りを試して、さらなる利を体感してみたいものである。さすがに、もう、間違えません。
注1
左右の羽が広がるように同じ箇所から両側に葉が出ていて、その組み合わせが複数ある。
注2
ウルシ:羽状複葉。10~15mの高木。基本的に葉は黄色いままで紅葉しない。希少。
漆が採取できる。ヤマウルシと区別するために通称で本漆と呼ばれる。
有効成分であり炎症を起こすウルシオールは内皮の部分に存在しているので、製材後の木部だけならば炎症を起こすことはない。
岩手県の二戸は漆の産地として有名。
ヤマウルシ:羽状複葉。5mほどの小低木。秋に紅葉する。
ウルシオールは比較的少ないが敏感な人はかぶれる。
注3
チベット高原にはウルシは生育せず漆塗りの文化は存在しない。チベット文化圏の南端にあたるモン地方(インド東北部、ミャンマーの北)においてウルシが生育していると思われる。
注4
しかし漆による財政再建は失敗に終わった。詳しくは『漆の実のみのる国』(藤沢周平 文春文庫 2000年)
注5
漆の国内生産量は1890年が332トン、2005年が1トン。現在99%を中国からの輸入に依存している。 参考『漆百科』(山本勝巳 丸善株式会社 平成20年)
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