失語症の人しか参加できないカラオケコンサートがある。その名も『失語症の皆さまのカラオケコンテスト~聴かせて、あなたの声~』。発起人は倉谷嘉広さん56歳。2020年3月にコロナ禍が始まったころ、勤務中に脳出血で倒れ失語症になった。
“言葉がうまく使えなくても、歌を歌うことはできる”という一般には知られていない失語症の特性をよく知っている彼が、一人で行うカラオケリハビリの動画が反響を呼び、元同僚の助けを借りてYouTubeチャンネル『くらたにのデジしつごリハビリ』を開設している。
彼は、倒れた後、病院で目が覚めると、全く言葉が出ず、ものの名前はおろか、自分の名前も言えなかった。右手と右足も動かず、“人生、完全に終わったな”と思ったそうだ。彼が出血を起こしたのは左脳皮質下。右半身麻痺と、失語症を含む高次脳機能障害という後遺症が残った。3日、1週・・・と経つうちに、少しずつテレビの内容や新聞の文字が理解できるようになったが、自分の名前や家の住所すら言えなかった。
それでも、彼は復職を強く願い、病院に“これだけやれば復職出来ます”といった答えを求めた。しかし、答えは返って来ず、入院1か月でリハビリ病院に転院したが、同病院では入院患者の中で復職した前例もなかったため、そもそも復職のためのリハビリは行われていなかった。
腐っていても仕方ない。できることからやっていこう。そう思った彼は、自宅から本を送ってもらい読み始めた。読めたことでモチベーションが上がった。また、車椅子での自走が許可されたことによって行動範囲が広がり会話の機会も増え、少しずつ主体性も上がっていった。
結局、「自分で自分の復職を支援しよう」と決意。ST(言語聴覚士)・PT(理学療法士)・OT(作業療法士)・看護師にお願いしてミーティングを行い、自身の復職までの計画をプレゼン。倒れる前に管理職として働いていたので、目標管理のフォーマットは頭に入っていた。前例がないため支援が難しいならば、自分でやるしかない。諦めるか、やれるだけやってみるかの二択。倉谷さんは、やれるだけやってみるほうを選んだ。 実際に倉谷さんが決めた目標は、こんな感じだ。
- 7月:車イスで院内自立。更衣自立・終日トイレ自立。簡単な感想文を書く。
- 8月:トイレまで歩く(昼)。利き手交換(両手動作)。日記を書く。
- 9月:トイレまで歩く(夜)。積極的に右手を使う。業務連絡を書く。
- 10月:杖と装具で屋外を歩ける。右手を補助手にする。長文でメールが打てる。
リハビリ病院を退院した約1年後、2021年の11 月、倉谷さんは、障害者雇用枠で復職を果たした。
私とは、1999年に開塾となった旅行産業経営塾の一期生として机を並べた。流通大手系の旅行会社の支店長を務め、倒れる前は別の旅行会社だが人事総部長でもあった。昔からアグレッシブだったが、その前向きさには驚くばかりである。
復職後も、彼は考え抜き会社の好意に漫然と時を過ごすことはしなかった。ここからが素晴らしい。次回、その素晴らしさを引き続き紹介したい。
注)今回は、『脳に何かがあったとき』7月号、(オンデマンドペーパーバック 著:チーム脳コワさん )からまとめました。
コメント一覧
和子 藤井2023.08.14 01:20 pm
内田博正2023.08.14 01:51 pm