会社で倒れて失語症になった倉谷嘉広さんは、1年8か月ほどで復職を果たした。このころ、彼から少し話がしたいとメールがあり、風の事務所で会った。失語症になった彼と会うのはこの時が初めてだった。「ウォシティ(こうして)ウォノッティ(話して)ウィッケオ(いるけど)、ウゥッカシィ(難しい)オトゥハ(ことは)ウァクラナウィ(分からない)」。話し方は、まだこんな感じだった。左半身が思うように動かず、杖を突きながら一歩ずつ歩くから、通常の2倍くらい時間がかかるそうだが、やっと1人で通勤ができるようになったと嬉しそうに話していた。
言葉はたどたどしく発音も聞き取りにいが、十分、意思の疎通はできるから、いったい何が分からないのか、そのときは理解できなかった。まだ、私には高次機能障害のことが今一つピンと来ていなかったのだ。ただ単に上手く話せないだけだと勘違いしていた。高次機能障害は、「新しいことが覚えられくなる」「怒りっぽくなる」「何かにこだわり過ぎるようになる」「約束を守れない」「すぐ忘れてしまう」「何度も同じ話や質問をする」。こんな症状が出てくる。これでは、周囲の理解を得ることが如何に困難か、想像しただけで気が遠くなる思いがした。
結果、復職はしたものの、彼は管理職というキャリアや肩書きを一度捨てて生まれ変わることを余儀なくされた。管理職として仕事をしようとすれば、人のマネジメントをし議論をする必要があるが、彼にはそれは難しかったからだ。
では、どうすれば役に立つのか。悩みに悩んだ挙句、退院後、SNSでリハビリの様子などを発信し続けてきたが、失語症のことを知ってもらうための活動は、会社の理念の一つである社会貢献に繋がるのではないか、という考えに至り付き、会社における自分自身の価値を見出したという。
カラオケコンテストもその一つ。昨年、失語症の歌手・清水まりさんが、自身の教室でのレッスンを再開した動画を目にし、自ら会いに行って歌唱指導を頼み込み実現。これが、『失語症の皆さまカラオケコンテスト』へと繋がった。しかも、カラオケサービスを展開している第一興商の協力を取り付けた。こうした発想と行動力は、コロナ以前と変わらない。カラオケコンテストには全国から 21 組のエントリーがあったというから凄い。
彼は休むことを知らない。今年に入って『言葉をつむぐ会』を結成。失語症当事者が中心となって、失語症について知ってもらう活動と当事者同士が支え合える機会の提供を目的にした団体だが、彼は副会長になった。
こういう話をすると、“彼は軽度だったし会社にも恵まれて幸運な人だ”などという声が聞こえてきそうだ。さらには、“なんで役立たなきゃダメなの、生きていくだけで精一杯な人だっているんじゃないの?”という批判もあるかもしれない。確かに環境に恵まれたのも事実だろう。失語症で高次機能障害を持つ人間をいくら障害者枠であっても復職させてくれる会社なんてそうはないだろう。しかし、彼の強い意志がなかったら何も実現しなかったことだけは確かだ。果たして、私にできるだろうか。全く自信はない。諦念という自分に都合のいい言葉の陰に逃げ込んでしまうに違いない。
今、彼は、失語症になる以前より輝いている。「与えられたチャンスに感謝して、新しい人生をめいっぱい生きています」。そう語る彼から学びたいと思う。
注)『脳に何かがあったとき』7月号、(オンデマンドペーパーバック 著:チーム脳コワさん )からまとめました。
コメント一覧
和子 藤井2023.08.14 01:25 pm
内田博正2023.08.14 02:06 pm