え!? “週休3日ってどういうこと?” と、つい私は首を傾げてしまった。というのは、人事院が国家公務員の「週休3日」を可能にするよう内閣と国会に勧告したと知ったからだ。総労働時間は変えず勤務日の労働時間を長くするという。なぜ人事院はそんなことを言いだしたのか? 理由は、国家公務員試験の志望者が過去2番目の少なさになっていることにあるらしい。長時間労働で休みも自由に取れなくても、国家の中枢で国を動かす魅力に惹かれ国家官僚を目指す、などという大学生は希少価値のようだ。近年は、民間の働き方も大きく変わり、IT系などで生産性が高い企業は、労働時間も短く休みも自由に取れるから公務員など選択肢にない、という学生が増えているのだそうだ。
定年後の再雇用では週の勤務日が2~4日ということが多いし、最近は、若い人でも週3日ないしは4日勤務というフル雇用でない社員も増えている。しかし、再雇用の方を除いてそういう社員は、他の日は別の仕事をしている。週に3日休んでいるわけではない。むしろ、ダブルワークをする社員たちが規定通り休みを取れているのか心配になるほどだ。
週休2日になった時には、体が楽になったと率直に感じた。休みが週1日では、用事でも入れば、1日しかない貴重な休日が潰れ、疲労感を抱えたまま翌日出勤しなくてはならない。週休2日になったことで、1日は掃除洗濯などで潰れても、よほどのことがない限り1日はゆっくり身体を休ませることができるようになった。週休3日になったら毎週、連休3日にすることも可能だ。祭日と組み合わせたら4~5日くらいの連休になる。旅行に行く機会も増えるから、旅行会社としては喜ぶべきことだが、 “いいのか、それで? 大丈夫か世の中は?” と、やっぱり思ってしまう。
どうも、私の心の中には、労働を賛美する一方で休むことへの罪悪感が内在しているようだ。親父が、“歳をとっても働ける、こんな幸せはない” とよく言っていた。91歳で亡くなったが、認知が入る少し前の83歳くらいまでは働いていた。母親も83歳で亡くなったが、直前まで働きに出るお嫁さんの代わりに一手に家事労働をこなしていた。“働けなくなったら寂しいなあ” これが母の口癖だった。もちろん、週休3日になっても、罪悪感など抱く必要もないし、自分の生活を楽しめばいいのだから素晴らしいことに違いない。頭では分かっているのだが、気持ちがついていけない。
しかし、よく言われることだが、前提として生産性が高くなければ、週休3日など不可能だ。今、週休3日にしたら、弊社は社員を追加で雇わなくてはならない。これでは、逆に生産性が下がってしまう。旅行会社のような労働集約型の産業にとっては、生産性を上げるという課題解決は大変難しいのが現状である。
しかし、働き方への世間の考え方や感じ方が、大きく変わってきている。特にコロナ後は顕著だと感じる。自社の実情に合わせて考えるしかないし、背伸びしても上手くはいかない。テレワークも含め課題は多い。しばらく、悩んで考えるしかない。