垣根涼介氏が直木賞を受賞した。あの『ワイルド・ソウル』で示した衝撃的な垣根ワールドが、今度はどのようなに展開されるのか。早速Kindleで購入して読み始めた。受賞作の『極楽征夷大将軍』(文書e-book)でいう征夷大将軍とは、室町幕府を始めた足利尊氏のことである。失礼な言い方かもしれないが、なんとも“冴えない”時代に焦点を当てたものだ。昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が上々の出来だったから、今、鎌倉、室町に注目が集まるのも何か理由があるのだろうか。
室町時代を描いた大河ドラマに「太平記」(原作:吉川英治、1991年放映)がある。初々しさ溢れる真田広之が尊氏を演じている。1991年は、風の旅行社を始めた年でもあり何か因縁めいたものを感じNHKオンデマンドでやっているのを見つけたので早速見始めた。全49話中まだ10話目だがなかなか面白い。青春の迷いを種々抱えながらも大きく志を膨らませて成長していく源氏の棟梁・足利尊氏が描かれている。
一方『極楽征夷大将軍』では、尊氏は“極楽殿”と称され全く腑抜けた武士(もののふ)らしくない源氏の棟梁である。弟の直義が、呆れ嘆く場面が何度も出てくる。一方で、直義は、尊氏の人心を糾合する天性の才能に地団駄踏んで舌を巻き感心する。極楽殿・尊氏は、源氏の棟梁として東国の武士だけでなく西国の武士までも引き付けてしまうのである。それは、勉学や鍛錬で身に着けた能力ではなく、尊氏そのままの感受性から生まれる自然な生き方、人との接し方が齎す力である。ガリ勉派の直義には、理解不能な力である。
実は、まだ最後まで読んでいないから結論めいたものはない。しかし、鎌倉時代に北条家(得宗家)が次々と有力御家人を敵として抹殺していったように、足利政権も内部の権力闘争に明け暮れることになるようだ。
新しい時代を切り開いていくときは、人々の思いは千差万別でも目標に向かって一丸となって前進できる。調度、一つの山の頂上を目指すように。上るルートは別々でも頂上は一つしかないから多少意見が対立しても左程の心配はいらない。ところが、組織が一旦でき上って維持することに汲々となると、人々の思いも目指す方向性もバラバラになり袂を分かつことになる。まるで、下山時、道が異なれば全く違う所に降りてしまうように。挙句は、組織を維持するためなら好ましくない者を排除しても仕方がないという意識が生まれ、それが実行されると凄惨なことになる。人間は、定住化し大きな集団で暮らすようになって以来、この頸木から逃れられないのかもしれない。
今、鎌倉、室町に注目が集まるのは何故か。大河ドラマの定番として好まれる英雄譚より、より身近なドロドロした人間ドラマに人々の関心が引き付けられる、といった谷間現象は屡々みられるが、しばらくするとまた英雄譚に戻っていく。今は、そんな谷間の時代なのかもしれない。