LGBTQ+という表現をしばしば目にするようになった。しかし、よく考えてみると今一つ解らないしQ+に関してはお手上げだ。あることが切掛けで『女性の生きづらさ㋣(原題はひらがなの「と」)ジェンダー』(心理科学研究会ジェンダー部会編、有斐閣)を見つけた。とにかく慣れない用語が山ほど出てくる。まず「?」を抱くのが「セクシュアリティ」という言葉だ。“性のあり方”のことだというが今一つ解らない。
セクシュアリティ(性のあり方)の構成要素は次の4つ。①身体性(からだの性、sex)、②性自認(こころの性、Gender Identity)、③性的志向(好きになる性、Sexual Orientation)、④性表現(ふるまう性、Gender Expression)である。
セクシュアリティとは、これらの4つ要素に性的嗜好(性欲対象への嗜好)も絡み合って形成される「性に関する行動・傾向の総称」であり、人それぞれが個々に持つアイデンティティである。さあ、この説明で解って頂けただろうか。私自身、かなり混乱している。
LGBTとはこうしたセクシュアリティの内のマイノリティのことだ。ではマジョリティとは何か。異性愛(ヘテロセクシュアリティ)と身体性と性自認が一致している「 シスジェンダー」がマジョリティだと理解すれば全体構造が見えてくる。しかし、決してマジョリティ=正当とか正常という意味ではないことに念のため言及しておく。
B(バイセクシュアル)は男女どちらにも性的志向が向く(両性愛)、カズレーザーや壇蜜がカミングアウトして有名になった。Qは、クエスチョニングまたはクィアのこと。クエスチョニングは自分の性的志向が、どんな性が好きになるか定まっていないか、定めていないセクシュアリティのことだ。これと似たポリセクシュアル(複数愛)パンセセクシュアル(全性愛)などもある。
T(トランスジェンダー)とは、身体性と性自認が一致しないセクシュアリティである。現在は性別不合と定義されているが、かつては性同一性障害と診断され精神病疾患として扱われ、ホルモン治療や性転換手術などの治療がなされてきた。
さて、ここまで来たが、セックス(生物学的な性)に関しては、オスとメスという二元論は全く間違っている。しかし、法的な性に関しては、日本は戸籍に男か女の性が書かれており二元論に立っている。それ以外は認められていない。ジェンダー(社会的な性)に関しては「障害の社会モデル」に似ている。差別は、人間の身体的固有性に原因あるのではなく社会が生み出したものだという考え方は同じである。
もう40年近く前だが、知人のAさんと2人で時々飲みに行くことがあった。周りの不可思議な者を見るような目が気になって仕方がなかった。Aさんのことは、初めて会ったときに「男かなあ? 女かなあ?」と判断しかねて靴をみて女性だと思ってしまったという苦い経験がある。最近は会っていないが、当時は、LGBTという言葉もなくAさんと正面から「性」のことを話題にする勇気がなかった。
人間の多様性を認めマイノリティを受容しその尊厳を認めていく社会が徐々にではあるが来つつある。いいことだと思う。会社として何ができるのか。他人事ではなく自社の課題になりつつあるようだ。