ゴッホと静物画

ゴッホに静物画は似合わないと思っていた。7枚もの≪ひまわり≫を描いていることは知っているが、≪ひまわり≫を静物画と意識したことはない。枯れかかった大輪のひまわりを、あそこまで表情豊かに描かれたら静物画と思うだろうか。静物画というある種の無機質な客観性は、≪ひまわり≫では、ゴッホの強烈な感情に打ち消されている。

来週の21日まで、新宿のSOMPO美術館で特別展「ゴッホと静物画 ― 統一から革新へ」が開かれている。10月からやっていたのに中々時間が取れずにいたが、やっと観に行くことができた。来場者数は10万人を超えたそうだ。印象が変わった。今まで観たことのなかったゴッホの静物画が、同時代を生きた画家やゴッホが影響を受けた画家、逆にゴッホに影響を受けた画家たちの静物画と一緒に展示されている。「こんな絵を描いていたのか」と、ビンタを食らったようにゴッホへの印象が変わった。

ゴッホ好きの方なら、もうとっくに観に行かれたかもしれないが、SOMPO美術館らしい地味な美術展である。こういう美術展が妙に印象に残る。以前、大塚美術館のことを描いたが、百科事典を端から引くような観方は、やはり止めたほうがいい。テーマを絞り込んだ展覧会でないと私には消化しきれない。

1888年の2月に弟のテオを頼ってパリに出てきて印象派の影響を受けるまでのゴッホの絵は、「ジャガイモを食べる人々」に代表されるように色遣いがとても暗い。今回展示されている≪靴≫≪コウモリ≫≪燻製ニシン≫は同時代に描かれたものだとすぐに分かる。中でも≪靴≫は秀作だと思う。

ゴッホといえば糸杉を画題にした数々の風景が浮かんでくる。≪糸杉と星の見える道≫≪夜のカフェテラス≫≪星月夜≫≪アルルの跳ね橋≫などなどだ。次は何といっても人物画だ。≪タンギー爺さん≫≪医師ガシェの肖像≫≪郵便夫・ジョゼフ・ルーラン≫≪ルーラン夫人≫≪ムスメの肖像≫などなどだが、≪ムスメの肖像≫は、岩波文庫に収録された『ゴッコの手紙』の表紙になっている。

そして、度あるごとに自分を覗き込むように描かれた自画像は最も強烈だ。麦藁帽を被ったり、坊主になってみたり。耳切事件の後の自画像は特に印象深い。耳を覆うように頭を包帯で巻き、何故かパイプをくわえていたりする。

絵の合間にゴッホの静物画に関する次のような解説があり目に留まった。「(前略)パリ滞在中、花の静物画で色彩の研究を行っていたゴッホは、アルル以降も静物画を使って色彩の研究を続けていた。この研究の目的は、対象を画面上にとらえることではなく色彩を自由に組み合わせ、色彩が持つ表現力を高めることにあった。(後略)」いわれてみれば当たり前だが、ゴッホは感性だけで描いていたわけではないということだ。

さて、次は国立西洋美術館の「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観に行こう。1/28までである。

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