2023年の7月に、失語症で復職した友人・倉谷嘉広さんのことをこの稿で書いた。あれから約10か月たった5月18日に彼の講演を聴いた。随分スムーズに話せるようになっていた。但し、1時間の講演をするには人の3倍の用意がいるという。
彼は、2020年3月、コロナ禍が始まって間もなく、職場で脳内出血をおこして倒れた。左脳皮質下に出血をおこし、右半身麻痺と失語症を含む高次脳機能障害という後遺症が残った。入院後3日、1週と経つうちに、少しずつテレビの内容や新聞の文字が理解できるようになったが、自分の名前や家の住所すら言えなかった。彼は、倒れてから1年10か月後の2021年11月、障害者枠で復職を果たした。
講演では、改めて、復職までの経過を話してくれたが、リハビリを受けながら、復職したいという思いを次第に強くし、その意思をリハビリ病院に伝えたら、復職のためのリハビリメニューはないと言われてしまった。彼は言う、そもそも誰のためのリハビリかと。確かに、リハビリ病院へ来るのは高齢者ばかりだから復職なんて考えないかもしれないが、私の思いはどうなるのかと。
彼は、何と自分でリハビリ病院の医学療法士、作業療法士、言語聴覚士たちを集め「チーム倉谷」を結成。退院までの4か月ほどのメニューを作って自ら目標管理を行った。復職したいという彼の強い意志が、自らを動かし、周りをも動かしたのである。
PCは右腕が動かないからできないが、スマホのフリック入力を覚え、左手一本で器用に使う。メッセンジャーを使いこなし、ツテがある人には、嫌がられようがお構いなしでコミュニケーションをとる。Facebookのフォロワーは現在4,265人。日々ネットワークを広げている。
彼は、講演の最後のスライドに「第二の人生の心がまえ」として以下5項目を挙げた。
- 好奇心をもって勇気をもって発進交流
- 目的はぶれず目標はあえて低く
- ほめてもらう環境を自分でつくる
- ありのままの姿に自信を持つ
- できることから着実に
久々の倉谷節に、嬉しくなって2次会へ。彼はもう酒は飲まないが、興奮気味に、世界の失語症を持った人たちと繋がりたい、と夢を語り協力を要請された。私も「喜んで」と応えた。