『時々、死んだふり』

横尾忠則著『時々、死んだふり』(ポプラ新書)が面白い。「肩の力を抜いたら、もっと楽に生きられますよ。いい加減がいいんです。運命に任せれば意外と収まるところに収まるものです」と語る。

高校を卒業して郵便局に勤めながら、神戸で仲間5人と個展を開く。出展した作品が神戸新聞の目に留まり入社。ポスター制作などで、赤、黄、緑などの原色を駆使し、独自の世界を展開。1967年には新聞に自らの「死亡通知」を出したりして世間を騒がせたが、1970年の万博では真っ赤な「せんい館」をデザインした。

1980年にニューヨーク近代美術館で観たパブロ・ピカソの個展に衝撃を受け「画家宣言」。 「ピカソ展を見ている時に、画家になりなさいという啓示を受けたような、大きな衝動が起こった。自分の意思によるものではなく、何かわからない力によって呪われたと思った。グラフィック(デザイン)に関してはトップを走っているという自負があったが、それを瞬時に捨ててしまうぐらい、『絵を描く』という衝動が大きかった」と語っている。

現在、88歳。五感がほぼ全滅。耳は極度の難聴、目は霞んで朦朧状態。花粉症で年中鼻炎に悩み、喘息で喉が詰まっている。利き手の右手は腱鞘炎で、思うように絵が描けない。朝、目覚めると同時に身体のどこかが小さい悲鳴を上げている。そんなことを語りながら毎日家から自転車で5分のアトリエに通い絵を描いている。

デザインをやっていたころには、仲間と集まりガヤガヤやっていたが、画家になったら仲間がいなくなって一人になった。小さなころから孤独に慣れているし、孤独の方が好きだから気にならない。しかし、悟りきった聖人といったイメージは全くない。体中から、熱いものが湧き出てくるかのようだ。

横尾氏に比べたら大したことではないが、私も、指が痛い、腰が軋む、腿が張る、脹脛が痛む、肩がパンパン、手の指先がいつも痺れている等、日替わりメニューで痛みが襲ってくる。毎朝、そんな体の小さな悲鳴を聞きながら、何とかなるかな、と毎日思い、日々過ごしている。年齢は大分違うが共感してしまう。生き方を見習いたい。

横尾忠則は三島由紀夫と深い親交があった。三島由紀夫に「芸術の母体というものは、インファンティズムに違いない」とある雑誌で評されたことが嬉しくて自信が持てたと語っている。

神戸に、横尾忠則現代美術館がある。今度、寄ってみようと思う。

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