民博友の会講演会「モンゴルとSDGs」を聴いて(その2)

前回は、第523回国立民族博物館(民博)友の会講演会「モンゴルとSDGs」における同博物館名誉教授小長谷由紀さんの話をご紹介した。今回も、その続きを書こうと思う。その前に、実は、この講演会と並行して、日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念特別展「邂逅する写真たち――モンゴルの100年前と今」が民博で開かれていたのでそれについて触れたい。

およそ100年前(1924年のモンゴル人民共和国設立以前)、欧米から多くの探検家たちがモンゴルにやってきて多く の写真を残した。当時のウランバートルは、活仏ボグド・ハーン(聖なる皇帝、在位1911年~1924年)が治める「聖なる都」であり、中心には黄金の宮殿が輝いていた。当時の人口は約6万人。市場には、騎馬でものを 買う人びとの姿が見え、民族衣装を纏った遊牧民たちが普通にみられる街だった。今は、民族衣装のデール姿をウランバートルでは見なくなったが、私が最初に訪れた1993年当時(人口約60万人)は街中でデール姿がよく見られた。

現代のウランバートルは、人口160万人を越えるグローバル都市であり、高層ビル群が林立し華やかな都市文化が花開いている。その一方で都市の周縁部には、遊牧民の移動式テント、ゲルが密集する「ゲル地区」が広がり、遊牧民の都市への流入・定住化が進 んでいる。鉱山開発による環境汚染も懸念されている。こうした現代のモンゴルのリアルを気鋭のモンゴル人写真家たちが映し出す。(民博のPress Release 2022 年 3 月 16 日を参照)私は、この写真展を見ることは叶わなかったが、機会があれば是非、観てみたいものだ。

さて、講演会に戻ろう。小長谷さんの話は、遊牧と牧畜の違いにおよんだ。遊牧では、家畜の自律性に基づいて放牧している。特に大型家畜(牛や馬)はそうだ。家畜ファーストでエソジスト(動物行動学者)的な見方をしている。人間が管理せず、動物の行動を利用して放牧しているので、家畜が行方不明になることも多い。そういえば、モンゴルでは乗馬に使う馬が逃げてしまって乗馬ができない、というトラブルが極稀だが起きる。一方、牧畜は、人間の管理のもとに家畜を放牧する。囲いがあり、逃げないように人が見張っている。なるほど、遊牧と定住型の牧畜では根本的な考え方がまったく違っている。

自律性という点で、もう一つ面白い話をしてくださった。モンゴルの家畜の群れは輪郭を持っていない。だから、違う群れとすれ違うとグチャグチャに交じり合ってしまう。ヤギは一番先頭を行く。そのヤギの群れの後を羊がついていく。この習性を活かして荒れた川を渡るときは、先にヤ山羊を川に投げ込めば、羊が後を追う。

なるほど、遊牧は、人間が自然に沿い。牧畜は人間が自然と戦い征服するやり方。遊牧の神は動物の姿をしているが、牧畜の神は人の姿をしている。そんな小長谷さんの話に、素直に相槌を打ってしまった。(つづく)

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