昔からよく見る夢がある。私一人が道に迷って集合時間に間に合わないという夢だ。迷う場所は、日本、ネパールやヨーロッパなどのどこかの街だったりする。道は、私が育った田舎の道が出てくる。道順も分かっているはずなのに、角を曲がると見馴れない風景が次々に出てきて幾ら頑張っても集合場所に着かない。集合時間はもうとっくに過ぎている。

数日前は、道に迷ったわけではないが似たような夢で、単位が足りず大学を卒業できない夢を見た。みんなが、どうしたら今から卒業できるかを、学食で何かを食べながら話し合っている。あれこれトライしてもどうにもならない。

もう少し明確に夢を説明したいと思うのだが、夢の中ではあんなにリアルだったのに、目が覚めると、あっという間にぼやけてしまう。しかし、どの夢にも、幼少期に育った田舎の家や道や神社、田んぼ、畑、山などが何らかの形で出てくる。カトマンズで迷っているのに、道は、田舎の道だったりする。

私自身が、フロイトの『夢判断』に詳しければ、何らかの分析ができるのかもしれないが、集合場所に間に合わないなんて一種の職業病かもしれない。しかし、実は私自身とても臆病だから、強いプレッシャーを受けていることへの不安が夢になって現れるのかもしれない。

仕事や夜のお付き合いに体を酷使し、深夜に死んだように眠りにつき、短時間睡眠でも翌日はシャキッとまた働ける。夢なんて殆ど見ない。そんな時代が懐かしい。年齢を重ねるとともに、体は疲れているはずなのに、夜中に目が覚め、悶々としながら目覚まし時計が鳴るのを待つことが増えた。“快眠”は手が届かない夢になりつつある。しかし、人間は、ちゃんと環境に慣れる生き物だから、なんだかんだとボヤキながら生きていける。

夢は、にっちもさっちも行かず、全身に力が入り冷や汗にまみれ藻掻き苦しんで目が覚める。しばらくは、そのまま夢の恐怖に押しつぶされた状態が続く。漸く、ふと“夢だったのか”と気づき一挙に安堵感に包まれる。恍惚感にも近いこの安堵感はリアルな世界では感じたことがない。だれしも、こんな経験があるのだろうか。私には分からないが、あまり深く考えず、きっとまた見ると思って覚悟しておくことにする。

〈追伸〉

前回、反復を好むようになってきたと書いたら、“それでは情けない。年齢を重ねても新しいことに挑戦しなくては!”とお叱りのお便りをいただいた。ありがたい。その通りだと思う。以前は、反復を進歩がなくマンネリ化だと唾棄していたが、同じことが繰り返せる喜びを感じられるようになったし、努力無くして同じことは続けられないと思うようになった。この場を借りて、少し言い訳しておきたい。そして、私も新しいことにこれからも挑戦はしていこうと思う。

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