ツアー名 ● 【悠久のシルクロード大走破【第1弾】河西回廊 西安とシルクロード石窟寺院14日間
2024年10月10日~10月23日
文・写真 ● 川崎洋一(大阪支店)
秋の気配が感じられない日本から中国シルクロードの旅へ行ってまいりました。
現地は国慶節という民族大移動の大型連休を終え、一息ついたころで、季節も一挙に秋が進んでいく時期に訪れることになり、そのため寒さを体感することもあった反面、想定外の降雪に想像していなかった風景に出会うこともできました。
10/11(金) 西安
天気は曇りながら、気温は快適な日本の秋の日くらい。
最初に秦始皇兵馬俑博物館へ行きました。1週間前は国慶節(中国建国記念日の祝日大型連休)で、この博物館の入り口はスキマのないほど人だらけだったらしい。ガイドは「今日は比較的空いてる」とは言うものの十分な人出です。それを差し引いても見る価値十分の遺跡でした。
1号~3号と3か所の坑が展示会場となっていて、しっかりした土産物販売の建物もあり充実しています。
せっかくなので全員で記念撮影をしました。
その後、玄奘三蔵法師ゆかりの大雁塔へ。寺院の正面手前には巨大な「玄奘三蔵像」があり、寺院の横には中日友好の空海・鑑真の像がありました。大雁塔は7階建て、約64m。マンションでいうと20階建てに相当する高さですが、有志で最上階まで登りました。
続いては、城壁がしっかり残る明代の西門へ。今西安に残る城壁は明代のもので、唐の時代の街はこの20倍の大きさがあったと聞いてびっくり。
当時その城内には、玄奘がインドから持ち帰った経典を翻訳し、その後、遣唐使として空海が暮らしていたーそう思うとこの町がいとおしく見えてきます。そんなことを思いながら城門に登ると、あちこちで唐風、漢風の衣装を着た現代中国人が歴史的建造物を背景にインスタ映えする写真撮影に夢中でした。
陽が傾きかけたころ、私たちは、今も西安の中心部に暮らすイスラム教徒の食堂が軒を連ねる回民街などへ繰り出しました。回民とは、西アジアから移住してきたイスラム教徒を祖先とする中国の少数民族のひとつ。漢民族との婚姻などを繰り返していてイスラム化した漢民族という言い方とする人もいます。
10/12(土) 西安〜天水
今日の西安は、朝から小雨で気温も下り、薄手のシャツやズボンでは少し肌寒くになりました。
今朝は西安北駅から高速鉄道で天水へ移動です。西安鉄道駅は、関西空港くらいの大きさがあり、かつての国際都市・長安の現在の陸の入口としての機能を果たしていました。高速列車・和諧号で約2時間半。時間も正確に天水到着。日が陰っていて暑い日本の夏に慣れていた体にはとても寒かったです。
天水の郊外にある仏教石窟寺院・麦積山では、現地ガイドも同行で2つの特別窟を含めて約2時間しっかり見学しました。紅色砂岩の断崖に彫られた数多くの石窟には約200の石窟に7,000体以上の塑像・彫刻が収められています。
10/13(日) 天水〜蘭州
天水では、今朝も少し涼しかったが蘭州では日差しがあり暖かい1日でした。
中国始まりの地とも言われる天水から再び高速鉄道で甘粛省の中心地蘭州へ。約1時間半の列車旅では、トンネルが多く、山が迫った地域に作られた細い回廊のような窪地河西回廊と呼ばれる理由かと思われました。
午後は、名物のおいしい蘭州ラーメンを食べた後、甘粛省博物館をたっぷり見学、見逃せない5つの逸品もしっかり(1枚は失敗)カメラに収め、夕食前にはスーパーマーケットへも繰り出しました。
1)銅奔馬(後漢時代)>シルクロードが開かれるきっかけになった西域産の名馬「汗血馬」をモデルにしているという
2)玻璃蓮花托盏(元代)>美しいブルーガラス製のカップ
3)人頭形器口彩陶瓶(新石器時代)>古代の美しい彩色とフォルム、かわらしい
4)マンモスの化石(新生代)>中国でも有名なのか人気がありました。
残念ながら、5つめの<駅使図(3~5世紀)=魏晋時代の墓の煉瓦に描かれていた当時の郵便馬>だけ撮り損ねてしまいました。
10/14(月) 蘭州~炳霊寺~蘭州
蘭州の朝は10℃前後まで冷え込みでしたが、天気は良く、昼間は20℃越えの晴天に恵まれました。
西秦時代からの仏教石窟遺跡で、シルクロードの要所でもあった炳霊寺石窟を、オプションの、2つの特別窟も全員参加で堪能してきました。特別窟172窟の菩薩像の髪飾りと御尊顔はとても美しいものでした(撮影不可のため写真はありません)。石窟はもちろんですが、1億数千年前の地層の風化・侵食が作り出した丹霞地形が、さらなる神秘性を付加して満足度アップでした。
蘭州に戻ってからは夜市に繰り出し、屋台料理をあれこれトライしました。おかげでホテル着が遅くなってしまいました。
10/15(火) 蘭州〜武威〜張掖
蘭州は今朝もぐっと冷え込みましたが、いい天気でした。
今日から車での河西四郡をたどる西への長距離移動が始まります。まずは、武威。かつての涼州。城門の残る静かな街でした。前秦の捕虜となってここ涼州で過ごした鳩摩羅什三蔵法師ゆかりの羅什寺には、凛とした羅什塔がそびえてました。続いて訪れた西夏博物館は、小さいながらも、元に壊滅させられた大きな仏教国がこの地にあったことを思い知らされ、参加者の皆さんも新しい発見に見入っておられました。昼食後は、途中、今なお荒涼とした大地のところどころに姿を留める万里の長城を眺めながら張掖へと直走りました。
西夏文字はまだ研究途上で、すべては解読されていないとのこと。200年近く繁栄した国が、謎に包まれたまま消えてしまった。ミステリアスな世界に浸れる博物館でした。
10/16(水) 張掖〜七彩山〜嘉峪関
張掖の朝はライトダウンが必要な寒さでしたが、昼からは日差しも出て、からっとした暖かさになりました。
朝、隋代(6世紀後半)創建のレンガ造りと木造でできた珍しい9層の塔を見に行きました。塔はあいにく修復中で景観は映えませんでしたが、その前にある公園が平日というのにおじいさん、おばあさん方で大盛況でした。
そこから元寇で当時の鎌倉幕府を恐怖に落し入れたフビライが誕生したという伝説のある大仏寺で、巨大涅槃像を見学。アジア最大と言ってました。確かにデカかったです。創建は西夏時代。西夏はチベット系遊牧民族と言われるタングート族が打ち建てた国。仏教は広く遊牧系民族にも信仰されていたことに改めて驚かれました。
この辺りでは、これが美味いんです!と、Z氏が買って来てくれたヨーグルトが皆さんに超好評でした。
午後は2000年代に入ってから知られるようになった丹霞地形の七彩山に行きました。数カ所の展望台にできた遊歩道を歩きながら息を飲む景色に感嘆の声が!今回は天候に恵まれ、太陽のあかりがちょうどいい感じに大地を浮き上がらせてくれました。太陽に感謝です。
各地層ごとに色が違うのは、その成分が違っているからで、その1つの層ができるのにきっと何百万年という時間が流れているはず。その地層が積み重なって、ヒマラヤ造山運動なんかで隆起して、褶曲して、折れて、浸食されて・・・今、私たちの目の前でその姿を見せてくれている、なんて贅沢な一瞬なんでしょう。
感動に浸っていたら時間がすぐに過ぎて行き、今日の宿泊地・嘉峪関到着は日が暮れてしまいました。
10/17(木) 嘉峪関観光~敦煌
朝、10℃ちょっとの寒さでしたが、昼間は日差しも覗く温かさでした。朝出かけはライトダウン。昼は長袖にカーディガンくらい。
今日は長い移動日。朝イチから観光開始です。
ポプラ並木を抜けて魏晋時代の壁画墓を見学しました。日本は弥生時代の同時期に、ここでは、アーチ式?の、前、中、後の三室を持つ立派なお墓が、千以上も作られていたそうです。(墓内部は撮影不可のため壁画のなど写真は併設の博物館のものです)
続いて、明代の長城の西の端・嘉峪関を見学。当時、ここから先は異民族の国、鉄壁の守りが要求されました。そのため山と山に挟まれた河西回廊の一番くびれたあたり建てられた堅固な城塞でした。
午後は、途中のドライブインでハミ瓜をつまみ食いしたり、特産のお菓子を試食したりしながら、ひたすら、殺伐としたゴビ砂漠の中をひた走りました。敦煌手前では胡楊の木が黄葉していました。
そして、ついに敦煌へとたどりつきました。
10/18(金) 敦煌(莫高窟、鳴沙山)
午前中は莫高窟へ。
中国各地の有名観光地は、どこも立派な駐車場と施設ができていて、多くの場合、駐車場からお目当ての遺跡までシャトルバスやカートに乗らないとアクセスできない仕組みになっています。
世界的観光地・砂漠の画廊「敦煌莫高窟」も例外ではありません。ただ、莫高窟がいいのは、最初の駐車場近くに設置されたシアターで、莫高窟の歴史と、いくつかの石窟が巨大スクリーンで見られる事。日本語のイヤホンガイドもあるのでわかりやすいです。
それを見た後、シャトルバスで現地へ向かいます。丁寧な日本語ガイドがじっくり案内してくれました。壁の裏に大量のお経が隠されていた有名な蔵経洞や、反弾琵琶なども見学できました。あと希望者は3つの特別窟を回って貴重な塑像や壁画を堪能する事ができました。
特別窟もじっくり見た後、もうひとつの有名観光地・鳴沙山へ。お客様は、観光用らくだと、中国人観光客の数、そしてコスプレ衣装に身を包み、真剣にカメラの前でポーズを決める国内旅行の女性たちにびっくりしつつ、ラクダに乗って砂丘をぐるりと一周した後、かつて詩人達が楼閣に集い詩を残した月牙泉へ。そこでは鳴沙山に登って愛国歌を歌う最近の流行を反映してか、アリの熊野詣で状態でした。
最後は、ホテルから近い夜市の屋台で、ラクダ肉など、地元料理をいただきました。
10/19(土) 敦煌郊外観光(楡林窟)
天気予報によると暖かくなりそうでしたが、期待に反して朝は冷え込み、この時期に珍しく雨が降り出しました。
最初の目的地・楡林窟に到着した頃には曇り程度に改善して、傘の出番なく過ごせました。ただ、朝夕はライトダウンが手放せません。
楡林窟は、莫高窟に比べると石窟の数は劣りますが、保存状態のいい壁画や、ほかの石窟寺院にはない水月観音と呼ばれる壁画を見ていただきたく特別窟2つをご案内しました。(石窟内の撮影禁止のため写真はありません)
ツアーも10日目、しかも、毎日濃厚な日程だったり、移動が長かったたりとお客様もお疲れだと思うのですが、皆さんの好奇心は衰えず、日々ハードな日程にも体調崩さず過ごしていただいてます。
続いて、陽関へ。王維をして「西の方陽関を出ずれば故人なからん」とうたわれた地。私達が着いたころには日が傾いて観光客もまばらで、ゆったり見学できました。
夜は、また地元の名物料理のロバ肉と黄面。こちらも好評でした。今日は、寒くなって、お客様の飲み物もビールから紹興酒に変わりました。
10/20(日) 敦煌郊外観光(玉門関、漢の長城)〜ウルムチ
昨夕、ガイドの話しでは「48時間以内に大寒波が敦煌に来ると天気ニュースがあった」とのこと。皆さん、防寒着をスタンバイして出発。朝見た当日の天気予報は0〜15℃。天気は曇天。観光は午前中前半なので寒さが心配です。
まだ眠気を引きずったまま玉門関到着。私たちが1番客でした。朝一番に到着した玉門関には冷たい風が吹いていて、ただでさえ下がった気温に、追い討ちをかけます。漢詩でも「春光わたらず玉門関」、春の光さえ届かない厳寒の地とうたわれた玉門関をまさに体感しました。
続いて、漢代の長城跡を見学。すでに最西端の長城・嘉峪関を見てきたのに、そこより西に何故? その理由は、時代が違うのでした。明代は、嘉峪関以西はウイグルの支配下で、漢民族国家の力は及ばす、嘉峪関が西の端と見なされていましたが、武帝が河西四郡をおいた漢代は、敦煌以西までその力を伸ばしており、「作り」は劣るものの、トルファン付近まで長城は続いていたそうです。
2箇所の観光を終え、涅槃像のような山並みや鳴沙山からつづく砂丘を遠くにみながら、高速鉄道に乗るべく砂漠の中を北上。
北山山脈が近づいてくると、タマリスクの紅葉が車窓から眺められたり、黒山と呼ばれる北山山脈の一端が望めました。
柳園南駅から快適高速鉄道でウルムチまで。車なら2日行程の道を高速鉄道を使って5時間で駆け抜けます。日本の新幹線では、今はもうなくなってしまった車内販売があり、嬉しくなりました。ビールやおつまみも売ってましたが、弁当系のものは残念ながら売り切れてました。飛行機内のように外国の化粧品を熱心に販売している青年乗務員がいて、そのまじめさ、熱心さにほだされてか、結構売れてました。
夜ウルムチについてからウイグル料理をたべて就寝。長い一日が終わりました。
10/21(月) ウルムチ~天池~ウルムチ
昨夜、天山天池への道路が積雪で閉鎖されたと情報あり。今朝の道路状況が変わらなければ皆さん楽しみにしていた天池へのプログラムを諦めなければならなりません。果たして?
朝食後、ガイドから道路再開の連絡あり、胸を撫で下ろす。ウルムチの街からの道からボゴダ峰に連なる東天山山脈が雪をかぶって見えました。
ちなみに、この日はロープウェイで3,000m近くまで上がる予定だったので皆さん、ズボン下や帽子、手袋、雨合羽など完全防備で挑みました。
1日前に雪が降った天池は、まさに天の池、美しい景色を私たちに見せてくれました。
午後は、ロープウェイで天池を見下ろし、ボゴダ峰も見られる馬牙山へ。また、そこでも爽快な景色を堪能。
希望者で、ロープウェイの終点から山頂に続く木道を登って行きました。積雪のため、道半ばで閉鎖されていましたが、高度を上げた分、また格別な天山の姿を見ることができました。
下山後は、夜市(バザール)に繰り出し、ウイグルの屋台料理を楽しんで、ドライフルーツなどお土産も買ってホテルへと戻りました。
10/22(火) ウルムチ市内観光~上海
朝から晴天。日向では、天気予報の温度より高く感じる。
今日はウルムチ市内二箇所だけ。
一箇所目は、新疆ウイグル自治区博物館。お目当ては、楼蘭で発掘されたミイラ「楼蘭の美女」。そして、その近くの遺跡で発掘されたミイラの写真を見ると、この辺りの先住民は「インド・ヨーロッパ系」人種というのも納得できそうです。
現在の建物になる以前は、貧弱な博物館で、博物館の展示コーナーより土産物コーナーの方がでかい顔をしていた記憶がありましたが、現在の博物館は、実物、一覧表、配置など非常に充実していて、新疆ウイグル自治区の歴史コーナーもなかなかよくできていました。
続いては、二道橋大バザール。
新疆の土産物屋を一箇所に集めたようなところで、ドライフルーツ、楽器、民族衣装、民芸品の店が屋内屋外に並んでいます。時間の許す中でお買い物をしていただき、最後のウイグル料理を食べるべくポロの美味しいレストランへ。皆さんの希望も取り入れつつ、ポロ、ウイグルミートパイ(勝手に名付けました)、シシカバブ、ヨーグルト、餃子ワンタンスープなど、美味しくいただきました。
その後は、上海行きの飛行機に乗るためウルムチの空港へ向かい、帰途へと付きました。