碧血碑

土方歳三が銃弾に倒れたという一本木関門の碑に向かう車中で、タクシーの運転手さんに「他にお勧めの場所ありますか?昨日、五稜郭と函館山に行きました。一本木関門の碑の後、土方・啄木浪漫館へ行こうと思うんですが・・・」と尋ねた。すると「浪漫館は、3月末までやっていませんよ。碧血碑は行きましたか?」と意外な答えが返ってきた。

タクシーの運転手さんを信用しないわけではないが、最近使い始めたChatGPT PLUSがこんな生の現地情報を知っているか確認したくて、運転手さんにことわってからその場でGPTに尋ねてみた。確かに3月末までは改装のため休館と答えが返ってきた。運転手さんも「最近は、みんなそうなってきて私たちも叶いませんよ」と感心するやら呆れられるやらで、私は困ってしまったが、今回は、バスの時間や開館時間などを調べるのにGPTがとても役になった。結果、ネット検索は次第にしなくなった。

「いいえ、何ですか、その碑は。ガイドブックでは見ませんでしたが・・・」。「箱館戦争で官軍にやられた武士たちが祀られた碑ですよ。大きくて立派ですよ。碑に刻まれた碧血碑の字体は、大鳥圭介の書だといわれています。彼は五稜郭に籠って官軍と戦いましたが生き残り、新政府で活躍しましたからねえ。とても優秀だったようです。でも大鳥圭介さんの書とは公には言えなかったんでしょうね。あと、敵味方の区別なく遺骸の埋葬に尽力した侠客の、名前は何ていったかなあ・・・忘れたけど彼の碑もありますよ」。

見知らぬ土地に行ったら、まずはタクシーの運転手さんと話すべし。これは旅のノウハウの基礎編だ。運転手さんの言に異論なく、そのまま碧血碑に回ってもらった。車は函館八幡宮の横を通り凍りついた細い坂道を10分ほど登って5台ほどしか停まれない駐車場に着いた。ここから5分ほど階段を登る。階段には固く凍った雪が張り付いている上に、その日の朝から降り続いていた粉雪が5cmほど積もりかなり滑る。碧血碑から15mほど手前に運転手さんがいっていた侠客・柳川熊吉の碑が立っていた。碑は、高さ6m、根本がおよそ70㎝四方、上方に向かって少し細くなる。その黒褐色の巨石の正面に “碧血碑”の大きな文字が浮き彫りにされている。船で江戸からこの巨石を運んだと記されてあった。碑を建てた人々の並々ならぬ思いが伝わってきた。

碧血(へっけつ、へきけつ)とは、「周の萇弘 が君主に忠義をつくしたが信任されず自死し、その血が碧玉になった」(デジタル大辞泉)という中国の故事に倣っている。約1000人の旧幕府軍の武士たちは、榎本武揚を入れ札で総裁に選び、蝦夷共和国・箱館政権を樹立した。まさに、蝦夷独立国家が成立したといえよう。そのまま蝦夷共和国が続けば、日本は二つに分かれ全く違う運命をたどっていたに違いない。

約800名の碧玉に再度手を合わせ、雪の階段を注意深く降りた。運転手さんが、階段の近くまで車を移動してくれており、その心遣いに感謝した。

新年あけましておめでとうございます。新しいメンバーも加わりスタッフ一同張り切っております。本年も引き続き宜しくお願いいたします。

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