先週の14日(金曜日)に突然、私どもの仕事場で不幸なできごとが起こりました。スタッフの高栄蘭(ヨンラン)さんが夕方、突然倒れました。ほとんど意識も戻ることなく、救急車で病院に運ばれました。付き添ったわが社の原さんと栄蘭さんの母上に担当の医師が「脳幹出血」との診断を告げました。脳幹出血は、手術などの治療は不可、生命維持も困難だと言われたそうです。
翌、15日の土曜日に数人のスタッフと一緒に病室に向かうと母上が出てこられ、風の旅行社の水野です、と告げると「栄蘭のオモニです。わざわざお越しいただき、ありがとうございます。」と丁寧にご挨拶をいただきました。まだぬくもりのある手を握ってから母上に顔をむけると、「覚悟はできています。」と気丈に振舞われました。
残念ながら高栄蘭さんは、17日のお昼ごろに旅立たれてしまいました。
いつもは社内で高(コウ)さん、と呼んでいました。
今年は社内で、スタッフに新しい企画を応募してもらう、KAZE-1グランプリというイベントが行われるのですが、高さんからその相談を受けました。高さんのルーツは済州島です。彼女は自らのルーツをテーマに絞り、済州島のツアー企画を考えていたようです。私が2月に書いたつむじかぜの「風の向くまま気のむくまま」を読んでいたのでしょう「水野さん、司馬遼太郎の『街道をゆく28・耽羅紀行』を貸してください。」「私の”高”という姓は済州島(チェジュド)、耽羅国の建国者の三人のうちの一人の姓なんですよ。」と、少し自慢そうに話してくれました。私も済州島を訪ねた時、その三人の神人が現れたという三姓穴を訪ねました。済州島はどうも本土(陸地・ユクチ)とは歴史も風習も言葉も違うようです。その独自性が高さんの課題だったようです。
私は今年の2月に喜寿を迎えました。風の旅行社のスタッフ全員から素敵なお祝いをいただきました。あの有名な「土屋鞄製造所」の「プレーンヌメ」製の手造りの「ブックカバー」です。そのお礼のメールをみんなに出した後、高さんから返事が届きました。
「水野さん、ご連絡が遅くなりましたが、喜寿おめでとうございます!水野さんは私の母と同じ年なので、私の母も今年喜寿迎えるなと感じました。私と西村さんが風の旅行社に入社した時から色々とお世話になり、私には風の旅行社の父と勝手に思ってます。色々お世話になり、感謝しかありません。私の母もそうですが、色々体にガタが来てると思いますがこれからも元気でいて下さい。私も風カルの一員(勝手に)思ってますので、また飲みに行きましょう!これからも色々教えて下さい。今後とも宜しくお願いします! 高より」
不覚にも涙がこぼれました。
高さん、さようなら……。