チベットの潘くん

先日、桜の開花に合わせたかのように、「チベットの潘くん」が来日し、桜が散るころに慌ただしく帰っていった。

2000年の7月に入社間もない私が初めてチベットの添乗に行った時のガイドが彼だったので、かれこれ25年の付き合いだ。現在、彼は風の旅行社のチベットツアーの現地手配を引き受ける現地旅行会社の社長になっている。歳は「不惑」をいくつも過ぎているので本当は「潘さん」というべきかもしれないが、友人として長い付き合いなので、ここでは呼び慣れた「潘くん」と呼びたい。

本名は潘華鵬。潘という苗字から分かるように、彼は漢民族だ。しかし、幼いころに両親の仕事の都合でチベットにやってきて、チベット語しか話さないチベット人だらけの学校に放り込まれ、強制的にチベット語を覚えた。ラサのセラ寺の裏にある学校に通っていた彼は坊さんたちの問答を聞いて育ったので「今でも若い坊主なら言い負かせる」と吹聴している。真偽のほどは不明だが、そのくらいチベット語にも仏教にも精通している。チベットでも非常に稀有な存在だ。

18歳で風の旅行社のチベットツアーガイドとして働きだしたというのですでにキャリアは25年以上にもなる。入社してすぐの冬のオフシーズンにはヒマラヤを越えて風の旅行社のネパール支店へ3か月の研修へ送り出された。だから今でもネパール支店のスタッフとは非常に仲が良い。ホスピタリティ溢れる優秀な日本語ガイドがたくさんいる「観光大国」ネパールで、サブガイドとしてトレッキングに同行し、日本語だけでなく「サービス業」というものを学んできた。風の旅行社の原点はネパールにあると言っても過言ではないが、彼は実は創生期から風のツアーを作ってきた古株の「風ファミリー」の一員なのだ。

もともとはガイドだったのが、そのうちにオペレーションも兼務し、現場の責任者として病人がでれば病院に連れて行くなどのフォローもしてくれた。風のお客様でも彼に世話になったという方もかなりの数になるだろう。ガイドとして有能なだけでなく人懐っこく、面倒見の良さもあって彼のファンは大勢いる。2011年の震災の時には、犠牲者のためにラサで1000本の灯明をともし、その写真を送ってくれ、スタッフ一同涙したのを覚えている。

その後、私は2001年、2004年の夏の短期駐在としてそれぞれラサに3か月ほど滞在することになるのだが、その時にも仕事で一緒に苦労する以外に、ホテル住まいの私を家に招待して手料理をふるまってくれたり、夜一緒に飲みに行ったりと、公私ともに非常に世話になった。

その後、彼は高山植物や野生動物の観察、風景写真のコーディネートなどを手掛けるようになり、自らもカメラを学び、アウトドアを得意とする旅行と広告の会社を興して独立。一時、風とは袂を分かったのだが、風のパートナーだった彼の古巣の会社が、社長の急逝やコロナ禍で日本マーケットの扱いを止めたため、2023年から再び彼と仕事をすることになったのだ。

彼は帰国してからも「今日はどこどこに撮影に行った」などと、毎日のようにメールやSNSで連絡が来る。非常に忙しい男であるが「デキル」男でもある。彼の広げ過ぎ気味の風呂敷からは、こぼれるものもあるかも知れないが、風呂敷に入るものもどんどん増えているようだ。精力的になんでも挑戦する姿勢は、友人としても見習いたいものだ。

そんな潘が同行する撮影ツアーが「風の写真担当」を自負する平山とタッグを組んで企画中だ。お寺や仏像、歴史が好きな「チベット・オタク」の私が企画するツアーとは全く違った、写真撮影や野生動物をテーマにした新たな切り口のツアーが誕生するのはとても楽しみだ。

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