第337話 クッパ ~唖者~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」
17歳、東北大学受験のあたりから知識と身体のバランスが崩れて硬直化しはじめた。いわゆる頭でっかちである。そんな自分に嫌気がさし、22歳、薬学部卒業と同時に堅実な人生を投げ捨て、その6年後の1999年にチベット亡命政権の […]
17歳、東北大学受験のあたりから知識と身体のバランスが崩れて硬直化しはじめた。いわゆる頭でっかちである。そんな自分に嫌気がさし、22歳、薬学部卒業と同時に堅実な人生を投げ捨て、その6年後の1999年にチベット亡命政権の […]
僕の巻頭言が掲載された別冊太陽「平屋特集」が届いて(前話)、日本に平屋ブームが到来していることを知った。本冊子によると2011年の東日本大震災、原発事故を契機として、物を所有しないシンプルライフが提唱されはじめ、平屋へと […]
4月初旬、平凡社から『別冊太陽 ~平屋特集~』への原稿依頼、しかも巻頭エッセーという大役が舞い込んで、ちょっと驚いた。しかもお題は「庭の愉しみ」というのでかなり戸惑った。なにしろ庭園を積極的に愛でた記憶はなく、森のくすり […]
ダラムサラ 2024年3月23日に開催されたメンツィカン(チベット医学大学 北インドのダラムサラ)創立記念式典のyoutube動画をなに気に視聴していた。2時間に及ぶこの式典のクライマックスは暗誦試験ギュ・スム達成者( […]
「オガワは絶対に信じないでしょうけれど」と強く念を押された上で、つまりチベット独自の風習を外国人のあなたには理解はできないでしょうけれど、という前提のもとで、チベット語教師のツェドル(女性、当時20歳くらい)は顔にゼルパ […]
日本人女性と交際していたチベット人は、気がつくと「そうね」「……だわ」など、彼女を真似て日本語が女性化していた。彼にしてみれば、言語に女性言葉があるなどとは夢にも思わなかったようだ。さらに、彼は僕に椅子をすすめながら笑 […]
北インド・ダラムサラの街に早朝、「ボォー、ボォー」というギャリン(チベッタン・ホルン)の重低音が鳴り響いた。それはネチュン寺(第57話)においてクテンによる神降ろし儀式が行われる合図。護法尊ネチュンが降臨するお方をク […]
メンツィカン在学中から「俺はもともと暦法学に興味などなかった。卒業したらコンピュータ関係の仕事に就きたいんだ」と言っていた通り、卒業課題である2024年の暦法カレンダーを提出すると、5年間の学業には一切執着せず、さっさと […]
興味深い映像をユーチューブに見つけた。それはメンツィカン学生チメが暗誦試験ギュ・スム(第289話コルワ ~聴聞者~)に挑むドキュメンタリーフィルム「The Tibetan Medical Oral Examination […]
10年に及ぶ学びを終え、いよいよ明日、北インド・ダラムサラを離れて日本へ帰る2009年4月10日、僕はメンツィカン(チベット医学暦法大学)職員室にお別れのあいさつに訪れた。すると別れ際、チュペル校長が真剣な顔で「オガワ、 […]
作家、上橋菜穂子さんの自伝エッセイ『物語ること、生きること』のなかに興味深い記述をみつけた。それは上橋さんがオーストラリアに留学していたときのこと。アボリジニ出身の学生たちはカンニングをすることに抵抗がないことに当初は驚 […]
紅茶キノコ、納豆、ココアブームなど健康法に対する日本人の熱狂性は高度経済成長以降の現象かと思いこんでいたら然に非ず、意外と歴史が深かった。たとえば1680年ころ、海外から輸入されるミイラが万病に効くとして大ブームになり「 […]