第38回●「ニェパ」三体液
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 “ニェパ” 血で描かれた赤い文字はそこで途絶えていた。死ぬ間際に最後の力を振り絞ったのであろう、パの最後の丸は閉じられることなく未完成のままだった。被害 […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 “ニェパ” 血で描かれた赤い文字はそこで途絶えていた。死ぬ間際に最後の力を振り絞ったのであろう、パの最後の丸は閉じられることなく未完成のままだった。被害 […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 ここダラムサラで8年間暮らし、すっかりチベット社会に馴染んだつもりだったけれど、こうしてアムチ(チベット医)として働いていると、社会のさらに深い側面に触れ […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 もしも日本を代表する美食家、海原雄三がメンツィカンを訪れたとしたら‥‥。 「タシデレ!ようこそ、いらっしゃいました」ミスメンツィカンのソナムちゃんが満面の […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 後日、B氏に確認したところそれは1995年に放映されたという。アジアのどこかの山奥で日本人がタンカ(チベット仏画)を描き続けているというドキュメンタリーを […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 愛する恋人が不治の病に冒され余命いくばくもない。 「先生、お願いします。何か手立てはないですか?」泣いてすがる男性に医者は困ったように言いました。 「一つ […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 毎朝9時ちょうど、メンツィカンの屋上で全生徒が整列したのを確認すると生徒会長が元気よく号令をかける。 「ブーギ・ゲルカプ・チェンボ・ゲルー・チク・ニ!(大 […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 1999年、初めてダラムサラに到着して間もなく、道端に真っ黄色の樹皮が剥きだしになっているのを見つけて「ここにも黄檗(オウバク)が生えているのか」と懐かし […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 ヒマラヤ薬草実習中盤(第1話参照)、野イチゴの蔓(ティタサンジン)の採取を命じられた。実でも葉でもなく蔓を薬に用いるとは何とも不思議な医学だと、いぶかしが […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 2008年2月11日、チベットの正月休みが明けた最初の月曜日、いよいよ僕の病院実習が始まった。一応、肩書きはアムチ(チベット医)となり、職員の方々から向け […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 「♪おおーきな、ノッポの古時計、おじいさんの時計・・・」 ダラムサラ、正確には尾根沿いに拡がるチベット人の街マクロードに今なお百年間の時を刻み続けている […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 初めてラサを訪れた2004年の夏、空港から街に到着すると僕は真っ先に「紅景天ドリンク」を購入して高山病に備えた。当時の値段で10アンプル28元、これが安い […]
小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』 チベット医学を学び始めてからというもの、ふるさと富山の売薬への興味が湧きあがってきた(第2話参)。草根木皮を使用して薬を作ることはもちろんのこと、日本各地 […]