第167回 ハトムギ ~縁側の風景~
ハトムギ 朝早くに自宅を出発し、長野市街を抜けて国道406号線に入ると風景は険しい峡谷に激変した。この先に村があるのだろうかと不安がよぎるが、「鬼無里」と記された道路標識を見つけては安堵を繰り返す。9時過ぎにようやく鬼無 […]
ハトムギ 朝早くに自宅を出発し、長野市街を抜けて国道406号線に入ると風景は険しい峡谷に激変した。この先に村があるのだろうかと不安がよぎるが、「鬼無里」と記された道路標識を見つけては安堵を繰り返す。9時過ぎにようやく鬼無 […]
学園祭で歌う筆者(左端)2003年 メンツィカン学園祭の出し物でツィク・ギャをやることになり、僕はメンバーに立候補した。ツィク(言葉)ギャ(掛ける)=言葉を掛ける、すなわち日本でいう歌垣にあたる。といってもピンと来る日本 […]
修那羅(注1)の峠を越えて向う側の村々が見えたとき、啓示をうけたがごとく不思議と心が軽くなった(第158話)。そうしてしばらく放心したまま峠の向こう側の村々を眺める。あの村々がまるで別世界のように見えたのはなぜだろう。そ […]
お礼にいただいたブッダガヤの土と菩提樹の葉 メンツィカン研修医の僕のところに、失礼ながら見るからに生活が苦しそうな患者が訪れた。やつれた服装をしている。僕は彼に「薬代はいりませんからね。お大事にしてください」と告げると「 […]
ソナム先生と筆者 メンツィカンの病院から歩いて10分、急な階段を下った閑静な森のなかに入院病棟ネ(病)ソ(治す)カン(院)はたたずんでいる(注1)。80mほど病院との高低差があることから、年配のアムチたちは回診を敬遠しが […]
リンチェン先生の家族と。2000年撮影。 その日、家庭教師リンチェン先生(第85話)の様子があきらかに違っていた。「どうかしましたか」という僕の無粋な問いに答えは返ってこない。いつもの笑顔はなく手に数珠を持ちずっと真言を […]
ドラッグストア(イメージ) 退学を前提に、2004年6月、とりあえず休学という形でメンツィカンを飛びだして日本に帰国したものの、さて、これからどうしたものかと悩み続けていた(第60話)。医学部への学士編入、鍼灸学校への入 […]
アルラの異物除去 土曜日がやってくるたびにチベット医学生は気だるい雰囲気に襲われていた。なぜなら、メンツィカン製薬工場での労働奉仕の日だからである。仕事のほとんどは薬草の異物除去作業、もしくは高貴薬の包装作業など、製薬 […]
ダラムサラの風景 つい先日、懐かしい友人からメールが届いた。「はーい、カンチ(注 僕のこと)。いま、旅行で京都に来ているの。あなたに会いにいきたいけどお金も時間もなさそうね。東京行の切符を送ってくれたら会いにいってあげる […]
別所温泉から上田市街を望む 人生初のギックリ腰をやってしまった。3月、東京から上田・別所温泉への引っ越し作業中、重い荷物を運び終え、最後の最後、軽い段ボールを持ち上げた瞬間のことだった。油断大敵とはこのこと。ヒマラヤを […]
研修医時代の筆者(右奥) よく、日本人から「小川さんはどうしてメンツィカンの病院に残って働かなかったのですか」と質問されるのでこの場を借りて釈明したい。 振り返ってみれば、僕のメンツィカンへの入学は決してウェルカムではな […]
ヴムバジャさんとの異文化クロス対談神奈川県大和市国際交流センターにて 谷川俊太郎の詩『生きる』をチベット語に翻訳してほしい、と早稲田大学から依頼された。なんでも、小学校向けの多文化言語教材として世界の25言語に翻訳し、そ […]