第121回●ニュグ ~もったいない~
日本製ボールペンを握って授業に臨んでいる筆者 2007年撮影 メンツィカンの定期試験は制限時間3時間で2日間に渡って行われる。解答は論述方式のため、チベット語速記体で作文し続けなくてはならないのだが、試験の緊張感のためか […]
日本製ボールペンを握って授業に臨んでいる筆者 2007年撮影 メンツィカンの定期試験は制限時間3時間で2日間に渡って行われる。解答は論述方式のため、チベット語速記体で作文し続けなくてはならないのだが、試験の緊張感のためか […]
プラタナスの木の下にある家ダラムサラ・バグスー村 1999年、マクロードの中心街から少し離れたインド人の村バグスへ友人と散歩に出かけたときのこと。山腹に1本の大きなプラタナスと石を積み上げただけの簡素な家がポツンと佇んで […]
チベッタン・ショール 撮影は小諸 旅といえばお土産。そこで今回はダラムサラでお勧めのお土産をご紹介します。 まずはチベッタン・ショール。これは現在、小諸の自宅に5枚、常備してあり、それぞれMVP級の働きをしてくれている。 […]
「むかし、モンゴルの草原に、スーホという、まずしいひつじかいの少年がいました。スーホは、としとったおばあさんと、ふたりっきりでくらしていました……」 1977年、富山県高岡市立戸出西部小学校2年2組、国語の授業でモンゴル […]
島根の名薬「一等丸」 2012年3月4日からのダラムサラツアー中、参加者のお一人が日本から持参した胃腸薬を取り出したとき、僕は思わず驚きの声を上げてしまった。なんと島根に伝わる名薬「一等丸(いっとうがん)」ではないか。製 […]
セキサンハルタ メンツィカン入学前の2000年5月、故難波恒雄先生(第94話)の薬草調査に同行してウイグルを訪れたときのこと。中心都市ウルムチの街の一角に生薬の袋をズラッと並べて売っている人がいるのに気がついた。これは「 […]
チベットの民族衣装チュパ姿の筆者ラサの郊外にて 日本の着物に対するチベット人の憧れは、日本人が思う以上に強くて驚かされる。メンツィカンの同級生の何人かは、どこで手に入れたのか、日本女性の着物の写真を部屋に飾っていたものだ […]
指宿での講演会実物の医学タンカの解説をしているところ 2012年3月25日、鹿児島県、指宿での講演会のため、はじめて鹿児島に足を踏み入れた。そして鹿児島市からローカル線で指宿へ向かっているときのこと。先頭車両に乗っていた […]
試合を応援するメンツィカンの学生たち メンツィカンにはサッカーとバスケットボールのチームがあり、年に1度行われるトーナメント大会に出場している。大会は5,6月に行われ、インド・ネパール各地のチベット団体から代表チームが集 […]
リキールハウス 2012年2月27日。3月4日からはじまるダラムサラ・ティーチングツアーのためにインドに先入りした僕は、デリー郊外にあるリキルハウスという、ラダック僧院が経営するホテルに宿泊した。デリー空港に比較的近いこ […]
洗濯風景 メンツィカン(チベット医学暦法大学)を卒業し、3年経過した今だからこそ告白できることがある。チベット人同級生たちに発覚しないようにコソコソと隠し(チベット語でサンワ)続けていたことがある。連載が第111話に到達 […]
寮の屋上で洗濯するジグメ メンツィカンで寮生活を送っていた2002年のときのこと。毎日、夕方4時半ころになると、ルームメイトのジグメ(第2話)は必ず、ラジオのスイッチを入れる。20×30センチもある黒くて大きなラジオはか […]