引っ越し

*風のメルマガ「つむじかぜ」587号より転載

私が、自宅を出て自立したのは19歳の3月だった。親父のセダンに布団と衣服、文庫本程度の荷物を載せて飯田市から松本市まで行った。日程に余裕がなく夜の引っ越しになった。アパートは、松本の信州大学キャンパスの近くで、農家が納屋を改造した小屋だった。“賄いなしの下宿屋”といったほうがピッタリくる。そこに、信州大学の学生ばかりが8人、入居していた。

同じ棟に4人いたが、医学部の先輩が主導して飯当番制が敷かれ、まるで合宿のような生活を一年間おくった。だから、寂しさも何も感じずに過ごせたが自由はなかった。たった4畳くらいの狭い部屋で布団と炬燵、机、本棚一つしかなかった。それでも、家を離れての暮らしは快適であった。

翌年、東京に出てきた。とはいっても、大学の近くにある同じ大学の学生ばかりが入っているこれまた“賄いなしの下宿屋”で、飯当番こそなかったものの、始終他人が部屋を行き来する、ほとんどプライバシーのない、いわば「ときわ荘」のような共同生活をまた一年おくった。

翌年、キャンパスが替わったので品川区に引っ越し、初めて一人でアパート暮らしをした。とは言っても4畳半の一軒家。一軒家というと格好はいいが、要するに“小屋”である。相変わらず家具らしいものは何もなかったが、道端で拾ってきた白黒のテレビと、電気屋の店先に置いてあった1万円の中古の冷蔵庫が増えた。

しかし、ここも一年半で取り壊しにあって、近くに引っ越した。今度は6畳のトイレ共同のアパートである。6畳は、とても広く感じ、贅沢にもベッドを買った。2年半後、就職して足立区の1DKのアパートに引っ越した。広いが、増えたのは本棚くらいで風呂もなかったからあまり変わり映えはしなかった。

田舎の高校生は、大学に行くことで大抵家を出て自立する。自立といえるどうかは疑問だが、私は、結構、一人で生きていくんだ、くらいの興奮状態で家を出たように思う。母や父がどう思っていたかなどということは、考えたこともなかった。

先週、長男が家を出てアパートに引っ越した。引っ越し屋に頼むほどの荷物はないので、自家用車のワンボックスワゴンで私が運転し荷物を運んだ。アパートの脇に車を止めるわけだが、その道へ入る路地が狭く、バックでしか曲がれず、少々難儀した。荷物は、ちょっとしかないから時間はかからないが、暑い日の引っ越しは辛い。

この日は、日曜日だったが会社で私が長年お付き合いしているNPOのグループが説明会をやるので、午後は、会社に出なくてはならなかった。別れ際「ありがとう」と言っていたから、まあ、それなりに思うところはあるのだろう。私同様、親のことなど考えることはないだろうが、それでいいと思う。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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