東ブータンで「幸せ」について考えた

文・写真●田中 真紀子(東京本社)

笑顔いっぱいのタシヤンツェの子供達。後ろに経文端ダルシンが風にたなびいている

笑顔いっぱいのタシヤンツェの子供達。後ろに経文端ダルシンが風にたなびいている

ブータン地図
ブータン地図

「幸せ」って何?

「幸せ(幸福)」この単純で、抽象的で、それでいて圧倒的なパワーをもつ言葉に私は日々頭を悩ませ、翻弄されている気がする。自分のプライベートの話ではない。ブータンという国が紹介される際にまず用いられる言葉が「幸せ」だからなのだ。90%以上の国民が「幸せです」と答える国、GNH(国民総幸福量)思想を中心に「国民が幸せであること」を国是としている国。そんな夢物語みたいにHappyな国があるなら行ってみたい!そう世界中が注目するのも理解できる。

ランジュンの有名な染織作家さんのお孫さん。染織道具を遊び道具にしていた。おちゃなな姿もかわいい。
東ブータンの子供達。ティンプーから東へ行けば行くほどゴの着こなしがルーズになっていった(笑)


しかし「風のブータン」の企画を考える際、一番重きを置いているのが実はこの「ブータン=幸福」というステレオタイプにいかに嵌らず、頼らずに、ブータンという国の良さを紹介できるかということ。確かにブータンから「幸せ」という言葉は切り離せないが、それだけでこの国を紹介するのは日本を「フジヤマ・ゲイシャ・ビジネスマン」と表するのと大差ないと思うからだ。
どの国でもそうだが、ブータンにも独自のルールやメンタリティがある。ツアーを企画する上で苦汁を飲まされたことも、地団駄を踏んだことも、一度や二度ではない。しかし最終的に「でも、やっぱりブータンいい国だよね」と言うに至ってしまう。この「ブータン・マジック」とも呼ぶべき力は何なのだろう、やっぱり「幸せ」と表現するしかないのか……。そんな思いを抱えつつ、この春私は東ブータンへ足を運んだ。

お母さんの背中で安心して熟睡する赤ちゃん。サリン村にて。
サリン・ラカンの中でお供え物のトルマを作るゴムチェン(在家僧)の男性。仏教はブータン人の大きな心の支え。


直線距離の3倍走る

東ブータンは、文字通りブータンの東側にある、織物で有名な地域だ。ブータンは九州程の大きさしかない国なのに、空港のある西ブータンのパロから国道一号線を辿って東ブータンのタシガンまで移動するのに、四輪駆動車でほぼ休憩なしノンストップで飛ばしても最低1〜2泊はかかってしまう。ブータンには国内線が飛んでないので(2009年時。別注)、国内移動は基本的に山間の九十九折の道を車でひた走る(あるいは歩く)しかない。『現代ブータンを知るための60章*1』という本には「国道一号線のパロ〜タシガン間は直線距離で結ぶと190km程しかないが、道のりは590kmにもなる」と記されている。実際に、速度50kmも出せば、体感速度100km程度で走っているような道が続き、嫌でも直線距離と実際の走行距離の違いを痛感していくことになる。

竹籠姿の人を見ると東ブータンに着いたと実感する
軒先で織物をする女性。東ブータンは織物の産地として有名。


そんな労を賭して、公定料金設定があるため滞在日数が延びる程確実に旅費が高くなるブータンで、それでもわざわざ遠い東まで本当に行く価値があるのか?その問いには「確かに車移動は疲れるけど、だからこそYES」とお答えしたい。

森の国、おとぎの国

タシガン周辺の風景。どこまでも常緑の山々が続く。

「国土の60%以上を森林とする」という政策があるブータンは緑がとても多く、目にも優しい(実際の森林面積は70%以上ともいわれている)。ブムタン谷のジャカールを越えたあたりから森はどんどん深くなり、トゥムシンラ峠を越え東ブータンと称される地域に入ると目算で自然と人工物の対比はおおよそ90〜99:1程度になっていく。圧倒的な緑の中に人家がぽつぽつと建っていて、人間が森に間借りして慎ましく生きているような印象を受ける。自然との共存がここに暮らす人々にとっていかに大事か一目瞭然の景色だ。

タシガンの中心地。数軒の雑貨屋、簡易宿泊所、などがある。
タシガン市街を一歩すぎると住居はまばら。その後は森林地帯が続く。



観光客の受け入れを始めた1974年以前は、東ブータンだけでなく、ブータン全体がこんな景色だったのだろうと車窓から外を眺めていた。そんな私の疑問に「そうだよ」と運転席から現地スタッフが相槌をうつ。40代半ばになる現地社長のシンゲも「僕が子供の頃はまだ車移動が一般的ではなかったからみんな馬であの峠を越えていたんだよ」と言う。十分すぎる位ゆっくりとした時間がブータンでは今も過ぎていく。幹線道路が整備される1950年代以前は、より一層ゆっくりとしたブータン時間がこの国を覆っていたのだから、当時この国を訪れた外国人はさぞ強烈なタイムスリップ感覚を味わったことだろう。
ブータンの友人知人と話していると、さりげない会話の中で彼らの幼少の思い出が語られる。時にそれはおとぎ話を聞いているような錯覚を私に起こせ、この国には本で読む民話や伝承がまだ実生活に息づいていると感じずにはいられない。

尾根上に建つタシガン・ゾン

やさしさ指数

西ブータンに比べ、東ブータンは観光的要素、たとえば博物館、歴史的建造物などはあまりない。華やかな世界遺産もなければ、ネパールのように8,000m級の山々が眼前に迫ってくることもない。宿泊設備も十分に整っているとは言い難い。正直言って具体的に万人に薦められるような、雷に打たれるような強烈なインパクトを放つ何かはないかもしれない。だが、それでも東ブータンは美しく、もう一度行きたいと思わずにはいられない。ブータン・マジックにはかからないぞ、と思っている私でさえもコロッと参ってしまう、そんなパワーが東ブータンにはある。

サリン・ゴンパにお参りにきていたおじいさん
ランジュン近くで農作業していたおじさん


ブータン最大の魅力は空気中に漂う、あの包み込むような優しさにあると私は常々思っているのだが、東ブータンはそのやさしさ指数が実に高い。人々の眼に邪気がなく、親切で優しく、初対面なのに快く受け入れてくれるような温かな空気感がある。今回、東ブータン逗留時に宿泊拠点としていたランジュンから対岸にあるサリン村へハイキングに行った時のこと。サリン村へ到着し、村のお堂を訪ねると村人がお茶とお菓子を出してくれ、奥から敷物まで持ってきてもてなしてくれた。その間も作業の手を止めずに、村のお母さん、おばあちゃんが法要用の灯明作りに励み、ゴムチェン(在家僧)の青年が米でトルマ(お供え物)を作りながら笑顔で話しかけてくる。
ブータン人は基本的に優しい人が多いけれど、ティンプーに暮らす現地スタッフ達でさえ「東の人達は本当に優しい」と口を揃えていた。

メラ・サクテンパの男性 メラ・サクテンパの男性(パは人の意味)。皮の貫頭衣、腰に小刀をさしている。奥さんと馬を数頭連れて歩いて帰路につく途中に声をかけた。警戒心の強い男性が写真撮影に応じてくれるのは珍しい。
少数民族メラ・サクテンパ 少数民族メラ・サクテンパの女性。特徴的なフェルトの帽子は細く垂れた部分から水滴が落ちる仕組み。特有の民族衣装を着ている。


Are you HAPPY ?

ブータン人と話していると「この国に生まれて本当に幸せ」「生まれ変わってもブータン人でいたい」というのをよく耳にする。これを聞いた外国人は驚き、人によっては感動し、そして彼らの生活の中に幸せの媚薬のようなものを探し求めているようになっていく。
初めて「私達はとっても幸せ」発言を聞いた時は私も驚いたが、もし私が東ブータンに住むブータン人なら「家と家族、食べていけるだけの収入とこの豊かな自然に囲まれていれば、それだけで十分に幸せ」と迷うことなく、心の底から言うと思う。
今回東ブータンを訪れて、心穏やかでいることの幸せを滞在中噛みしめていた。ランジュンで夕焼けと人家の明かりを眺めながら、この平穏な気持ちをずっと保っていたいと心から願い、「安らぎ」という名の幸せに浸った。
人によっては物質的豊かさが一番大事だと思う人もいるだろう。それが間違っているとは思わない。ブータンは狭い社会で、発展面で遅れている部分もあるが、だからこそ人の絆を大切にし、自分の好きなことをする時間を大切する。そして、自分達の身の丈にあった『幸せ』を各人が作り出している気がする。

サリン村にて。下校途中の子供達と交流する。通学路の途中まで子供達を迎えに出ていた母親達も笑顔で見守ってくれた。

ブータン人の口にする「幸せ」について思う時、彼らの幸せが日々の感謝に基づき、日々の積み重ねから生まれる安らぎと充足感を幸せと呼んでいることに気付く。当然ながら国教であるチベット仏教も彼らの考え方に大きな影響を与えているが、同時に人々が「自分達が無理せず、幸せでいられる状態」をよく理解しているからこその「幸せ」という感覚なのだと思う。

「桃源郷」は遥かなり?

「大切なものは目には見えないんだよ」とキツネは小さな王子に言い、「幸せはすぐ側にある」とチルチルとミチルは旅の終わりの家路で気付く。「幸せ」は数々のおとぎ話の中でも主題として扱われ、その多くが『桃源郷は遠くではなく、貴方のすぐ近くにあるよ』と明に暗に告げている。ブータンが「幸せの王国」と呼ばれ紹介されるのは、こうしたおとぎ話の主題がブータン人の日常的な会話の端々に当たり前のように登場するせいではないだろうか。

どの国にも訪ねてみないと分からない面白さがある。その中でもブータンの良さは、かの地に足を運んでみないと感じられない類のものだ。もし惹かれるものがあるならば、おとぎの国としてではなく、地球上に実在するこの国をご自身の肌で感じていただきたいと願わずにはいられない。

笑顔あふれる毎日がいつまでも彼らの日常でありますように

(「風通信」38号(2009年10月発行)より転載)

※2011年にブータン国内線がパロ-ブムタン間、パロ-タシガン間(2013年8月現在運休中)で就航開始しました。