コース名:2つの秋ツェチュ祭とパロ・ホームステイ7日間
2011年10月4日~10月10日 文・写真●中村昌文(東京本社)
ツェチュ祭の会場にて(ティンプー)
「ブータンは何回目ですか?」
ブータンへ向かう時にお客さんのひとりに聞かれた。
今回で4度目の訪問だったが、そういえば、初めてブータンへ行ったのは2001年の4月のことだ。あれからちょうど10年。初めてブータンを訪れた時、人々の笑顔、篤い信仰心、日常に流れる緩やかな時間、華やかな衣装でお祭りに集う老若男女……。すっかりブータンに魅せられて、その後のセールスにも随分と熱が入ったのを思い出した。
この10年でブータンの変化は目を見張るものがある。あくまでも「ツアー」という限られた日数の中でのことだが、この添乗報告記で10年前とを比較しながら、若き新国王のロイヤルウェディングに湧きかえる「ブータンの今」を少しでもお伝えしたい。
広がるブータンへのアクセス
バンコクを出発した、我々14名を乗せたドゥルク航空機は定刻を5時間ほどオーバーしてブータン唯一の空港があるパロに到着した。標高2500mほどのパロ谷にある空港は天候が変わりやすく、離発着が難しい。今回もパロの谷をほぼ真横に眺めながら大きく旋回して着陸したため機内では思わず拍手がわきあがった。
かつてこのフライトはBAe-146-100という小型ジェット機での運航で、座席数はわずか72席だったが、2004年にエアバス社のA319を購入し座席はビジネス20席、エコノミー92席、合計112席まで増え、さらに運航本数もバンコクまで週4便程度だったのが、現在は毎日1便以上飛ぶようになった。これによってブータンを訪れる観光客は劇的に増加している。ブータン政府は現在年間3万人程度の観光客を数年内に10万人にまで増やそうと計画しているそうだ。
ドゥルク航空機(2001年)
ドゥルク航空機(2011年)
飛行機が空港に到着すると、歩いて伝統的な建築様式で建てられたターミナルビルに向かう。乗客たちは他に離発着する飛行機もないので、のんびりと記念写真などを撮っている。このあたりの雰囲気は以前とまったく変わらない。早くもゆるやかなブータン時間が流れ始める。
首都ティンプーへ
パロ到着後、車で一路ティンプーへ。川沿いの国道1号線を走る。以前、道路は1車線で片道2時間以上かっていたこの区間も、道幅を広げ2車線の対面通行が可能になり、所要時間が30分以上短くなった。しかし、川沿いのグネグネ道にはトンネルはなく、削り取った山側は土がむき出しだ。日本だったらトンネルがドーンと山を貫き山肌はコンクリで固められるところだが「大金を出して工事してもペイしない」んだそうだ。そして沿道は相変わらずのんびりムード。学校帰りの子供たちの制服姿がかわいい。所々で2週間後に控えた「ロイヤルウェディング」をお祝いするためのアーチを村の入り口などに建てていたが、作業風景にも緊張感はない。
2車線となった国道1号線(2011年)
学校帰りの子供たち(2011年)
間もなくティンプー、というあたりになると急に交通量が増え始める。ブータンではこの何年かで車の数が大幅に増えた。特に個人で車を持つ人が増えたそうだ。ブータンでは環境に配慮して中古車の輸入を認めていないので、走っているのはみんな新車、インド製のスズキでも100-200万円もする。ガイドのシンゲによるとブータンの一般的な公務員の給料は日本円で月20,000円程度。年収の10倍以上の金額だ。「いったいどうやって購入するの?」と素朴な疑問が湧く。「たいてい共稼ぎですし。あとはローンですね」。
閑散とした時計台付近(2001年)
今は人と路上駐車でいっぱいに(2011年)
街が近づくと10年前は山や空き地だったところにもビルが建設されていて、ティンプーの街が相当大きくなったことが分かる。人々の行動範囲が広がり車がないと不便になったのだろう。中心部は駐車スペースを探すのも大変なほどの車が道路脇に止まり、朝夕はひどい渋滞が発生するようになった。ちなみに現在のティンプーの人口は10年前の倍以上の10万人を超えているそうだ。人口70万人のブータンの1/7にあたる。農業以外に仕事のない農村から一攫千金を夢見てやってくる人が多いのだ。
後日、ティンプーを見下ろす山の中腹に建設中の大仏、通称「ブッダポイント」から街を見下ろして驚いた。以前はティンプーの近郊にあったシムトカという街とティンプーの街の間に建物が建ち、2つの街がほとんどつながってしまっていたのだ。
民族衣装の「いま」
ティンプーに着いた日の夜は「民族衣装を着て、お祭り見学に行きたい」という方が多数いたために民族衣装購入へ。夕方の街はものすごい人出だ。ちょうど仏教のお祭「ツェチュ」とヒンドゥー教のお祭「ダサイン」が重なり、ブータン人も、インドからの出稼ぎ労働者も、みなまとめて休暇に入り休日の夜を楽しんでいたようだ。お祭りに合わせて店側もセールをしている。ちなみにこの休暇中にもロイヤルウェディング関連の工事を進めるため、ムスリムであるバングラデシュ人労働者が大勢呼ばれたそうだ。
よく見ると道行く人で、ブータンの民族衣装の「ゴ」(男性用)と「キラ」(女性用)を身につけていない人が少なくない。
「もう仕事は終わってますからね。出掛けるときは、一度家に帰って着替える人も多いんですよ」とシンゲ。
帯でお腹をきつく締め付ける民族衣装は、長く着ていると疲れるし、かなり暑いのだ。
体に一枚布を巻きつける女性用の民族衣装「キラ」も最近は上着で見えなくなる上半身を割愛して、スカート部分と上着だけの「ハーフキラ」が主流になっているそうだ。
店に着くと、お祭り用に新しいゴやキラを買いにブータン人もたくさん来ている。その種類の多さに皆さんちょっと驚かれる。店員さんにこちらの希望を伝えて、皆さん思い思いの衣装を試着する。日本人とブータン人は顔立ちが似ているからか、店員さんがチョイスする組み合わせが、それぞれにマッチしていく。皆さんのテンションがガンガン上がって行くのが感じられる。さすがは「着道楽」の国ブータンの店員さんである。
民族衣装屋さんにて生地を品定め中
ゴを試着する
ブータン人親子
田舎の祭りと都会の祭り
翌日、まだ暗いうちに出発し「トンドル」とよばれる巨大なタンカ(仏画)が御開帳されるウォンディフォダンへ向かう。この町は東西交通の要衝でありながら、いい意味で田舎臭さの抜けていない。人々はここぞとばかりに民族衣装で着飾って、家族そろってお祭り見学へやってくる。10年前に訪れたパロのツェチュ祭りと同じ雰囲気がする。
民族衣装に身を包み、お祭りへ繰り出す。お客様とちゃっかり貴賓席(のようなところ)にまぎれて仮面舞踏を見ていたら、お坊さんにブータン風の餃子(モモ)と甘いチャイをごちそうになってしまった。前日に、猛烈に発展しているティンプーを見ていたので、こういう人懐っこさや、優しさは、以前と変わっていないんだなと、なんだかホッとする。
ウォンディ・ツェチュのトンドル
法要の太鼓を叩く僧侶
翌日は首都ティンプーでのツェチュ祭りだ。2年前に数万人を収容する巨大なスタジアムが完成し、最近はお祭というより「イベント」と言った方がしっくりする。祭りの規模は他と比較にならないほど大きいし、仮面舞踏の踊り手との距離もそれに比例して遠い。首都だけにやってくる人々の衣装も派手で洗練されている。「こんな柄、他では見ないな」という色使いや柄も目にする。しかし、晴れ着に身を包み、家族総出でやってきて、お弁当を囲み、1日をのんびりと過ごす。そんなお祭りの楽しみ方は田舎も都会も、今も昔も変わらないし、子供たちの無邪気な笑顔も同じだ。「ちょっとごめんなさい、座らせて」と外国人である我々に言われると、笑顔で敷物の端っこに「どうぞ」と座らせて、お菓子をふるまってくれる優しさも健在だ。
ティンプー・ツェチュの会場はスタジアム
晴れ着に身を包んだ見物客
子供たちも立派におめかし
ところが、祭り見学を終えた我々の前に「今どきのブータン」を象徴するような若者の一団が現われた。まるでK-popグループやHip Hopグループのように髪の毛を逆立て、ピアスやサングラスをつけたその一団は明らかに周りから異彩を放っていた。10年ほど前から解禁されたテレビの衛星放送で流れる韓国ドラマやポップスはブータンでも大流行り。おそらくその影響だろう。
「ちゃ、チャラーい!」
k-pop風な若者たち
女性陣も負けていません
我々が抱くブータンのイメージとの落差にしばし呆然。
だが待てよ、お祭りは宗教行事であるとともに、若い男女が出会いを求める機会でもある。10年前のお祭りツアーに行ったときにも、会場の隅っこで男子学生たちが女子学生に声をかけているのを見かけた。彼らが女性からモテたいと思うなら、おしゃれな男をアピールすることも当然だ。いまやブータンでもiPhoneを持つ人も増え、インターネットやテレビで世界中の情報を得ることができる。世界の流行を捕らえた彼らのファッションはきっと最先端で、だからきっとこれも「あり」なのだろう。
「幸福大国」のこれから
この10年、ブータンでは経済発展が進み、若者はテレビやインターネットを通じて外の世界を知り、インドや欧米諸国へ留学を希望する子も多くなった。そうしてブータンは徐々に変わってきているし、これからも変わって行くだろう。
ブータン各地に高級リゾートができ、旅行者にとって魅力的なお土産物が増え、いままでまったく内部拝観ができなかった僧院にも一部入れるようになるなど、観光客を受け入れて外貨を稼ぐ、という体制が整ってきた。その際に、ブータンの人々は自分たちが世界からどう見られているか? 外国人がブータンのどこに魅力を感じているのか? ということを強く意識しているのだと気づかされる。そういう「外からの視線」を意識することはお祭りでの着道楽ぶりや、見ず知らずの他人にも優しく接するところにも表れている。
(もちろん、彼らが生来親切だということもあるのだが)。
個人的には、この「外からの視線」への意識を失わない限り、まだしばらくブータンは発展と伝統文化の折り合いをつけられるんではないか、と思っている。しかし、急速な経済発展や環境の変化が、そんなブータン人の意識をどう変えるのか? これまで経済発展から取り残されてきた人達がこのことを理解できるのか?
これまで10年以上付き合ってきた国だが、これからますますブータンから目が離せない。是非、たくさんの皆さんにも自分の目で確かめて頂きたいと思っている。
飛行機内で配布されるブータン出入国カードも
ロイヤルウエディング・ムードでした