<はじめに>
2018年の夏にネパールのムスタンの添乗に行く機会に恵まれました。
ムスタンは風の旅行社でもなかなかスタッフが訪れることが少ない地域。長年チベット文化圏を扱っている私も初めて行くことが出来ました。
帰国後、添乗報告も書きましたが、そこには書ききれないほどの貴重な体験をすることができました。
もっともっと皆さんにムスタンのことを知ってもらいたいので、大分時間がたってしまいましたが、旅のメモをもとに旅日記を再現して、皆さんに何度かに分けてお届けしたいと思います。なにかのご参考になれば幸いです。
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※ツアー1-2日目は日本~バンコク~カトマンズ~ポカラと飛行機移動だったため、割愛させていただきます。
ツアー3日目。いよいよムスタンへ向かう。
前日の午後、カトマンズでタイ航空の国際線からネパールの国内線に乗り継ぎ、空路ポカラに到着していた我々は、常に空を見上げていた。
と言うのも、ムスタンの空の玄関ジョムソンへのフライトは、天候に大きく左右されるからだ。
ジョムソン空港は標高2,700mの山間部にあり、空気が澄んでいて雲の少ない早朝しか飛べない。
フライトが飛べなければ、時間に余裕のない我々は陸路移動に切り替えてジープで走るしかないのだ。
朝4時半に起床。5時半にホテルを出発しポカラ空港へ。まだ明るくなっていないが雲があるのか星は出ていない。
空港に着くと、同じようにジョムソンを目指すツーリストが大勢フライトを待っていた。
この3-4日ほど飛行機は飛んでいないらしいが、天気予報によれば今日は若干期待が持てるようだ。
待っている間手持ち無沙汰なので、参加者の皆さんと空港の駐車場に出て、恨めしそうに北の空を睨んでは、念を送って雲を吹き飛ばそうとする。
「もう諦めたほうがいいかな」と思った7時半頃、空港内がザワザワし出す。
係員が航空会社の事務所でPCの画面を見て
「これはジョムソン空港のカメラだ。ここに雲の切れ間があるだろ?
これがもう少し広がれば飛ぶことが出来る。かなり可能性があるぞ。ちょっと待ってろ」
その言葉の通り、チェックイン手続きを終えた荷物がカートに載せられ、セキュリティチェックが始まる。
「おお、これは飛ぶぞ!」と添乗員は胸を撫で下ろす。
しかし……、その後待てど暮らせど搭乗の案内はない。
デッドラインと見ていた午前8時はとっくに過ぎてしまっている。
ガイドのDは、諦めたような視線を投げてくる。
「中村さん、もうジープ呼びましょう。限界ですね」
「ダメかあああ」
お客様の手前テンションを保ちながら、代案となる陸路移動の説明を始める。
幸い、こういう事態に慣れているお客様が多く「仕方ないねー」という冷静な反応。
やがて8時半にはジープが集合して空港から出発。
ポカラの町を出発し、アンナプルナの展望地ダンプスの登り口フェディを通過、
カリガンダキとモディコラの合流点で折り返してカリガンダキ河に沿って北上するとベニだ。
ここで少し休んで昼食となる。一同この旅で最初のダルバートを楽しむ。
ベニを過ぎると、道路が一気に悪くなる。
あちこちで土砂崩れが起こり、道路はぬかるんで、「道」と言うより「田んぼ」。
まるで田んぼの中を車で走る、いや、ホバークラフトで進んでいるような感覚になる。
川が道路にあふれ出して、渡渉することもしばしばだ。
ふと道路わきを見ると、崖の下にはコーヒー色の濁流がゴウゴウと音を立てて流れている。
20年ほど前、初めてチベットでギャンツェやシガツェの田舎道を回ったときのことを思い出す。
「いまどき、こんな道がまだあるんだー」とMっ気が刺激され、逆に楽しくなってしまう。
お客様も「ジェットコースターより楽しい、スリルがある」とか、「ドライバーの技術がすごすぎる」と大変前向きなコメント。本当にお客様に恵まれた旅だ。
そんな道を走り続けていると、やがて大規模な崩落現場に差し掛かった。
工事車両が道路を修復中で「しばし待て」と通行止めになっている。
そんな現場の傍らには、しっかりとチャイ屋が店を開いていて、再開を待たされているドライバーたちがお茶を飲んでワイワイと油を売っている。
日本だったら絶対に立ち入り禁止になるような場所で、なんとものんびりしていて、いかにもネパールらしい風景に緊張が緩む。
やがてすっかり辺りが暗くなった頃、工事がひと段落。
明るかったら恐ろしくて通れないような復旧したばかりの道を、ジョムソンへ急ぐのだった。
ジョムソンには夜9時到着。空路なら30分のところ、移動時間12時間。行動時間16時間半。
長い1日だった……。(その2につづく)