ムスタン旅日記:2 いざアッパームスタンへ! からのつづきです。
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ツアー5日目。
ムスタンの朝。わくわくして朝早くから目が覚める。
朝食の前に散歩に出掛けようと手早く着替えて表に出ると、宿の前で参加者のIさんと出くわす。同じことを考えていたようだ。
ローマンタンの村は高さ8mほどの城壁で囲まれた南北300mほど、東西150mほどの王城がメインのエリアで、城外の東西の通りにゲストハウスや商店などが取り囲んでいる。我々が泊まっていたゲストハウスも王城の東南側にあったため、城壁に沿ってまだ開店前の土産物屋を横目に歩き、北の城門から城内へと入る。
ローマンタンの人口は約1000人足らずと言われているが、朝早くの城内には人影もほとんどなく閑散としている。
城内のほとんどの建物は互いに繋がりあって建っていて、ところどころがトンネルになるなど、路地は迷路のように入り組んでいる。城壁の中をしばらく歩き回るが、水汲みをする姉妹と、馬しか姿を見せない。
思い立って城内の一角にあるチベット医学校を訪ねてみる。
このチベット医学校はムスタンで名医の誉れが高かったタシーチョエサン師の息子であるギャツォ、テンジンの兄弟が運営している。日本語で読める資料としてはイチバン参考になる『ムスタン 曼荼羅の旅』(奥山直司 中央公論新社)という本にも紹介されているのだが、実は兄のギャツォさんとは、以前風の旅行社のチベット・ガイドをしていた飯田泰也さんの紹介で東京でお会いしたことがあるのだ。
医学学校の中を覗き、ちょうど歯磨きをしていた10歳くらいの子供に「ギャツォ先生か、テンジン先生はいますか?」と聞くと、「こっち、こっち」と迷路のような路地を案内してくれる。小さな扉を抜けると城壁の西から外に出る。その近くの大き目の一軒家まで連れて行き「ここにいるよ」と言うとさっさと帰っていった。声をかけると中から見たことのある顔が現れた。ギャツォさんだ。
向こうは私の顔を忘れていたようで、いぶかしげな顔をしていたが、事情を話すと「あー! あの時はありがとうございました。今、テンジンは出かけています。飯田さんはお元気ですか?」と笑顔になる。お二人は現役のチベット医学の医者(アムチ)でもあるが、ローマンタンにチベット医学学校を建設して学生の教育当たると同時に、薬草の農場ももち、自宅の敷地内にはチベット医薬の博物館も併設している。時間があればお客さんを連れてきても良いかと訪ねると「もちろん構わないよ! 私か弟かどちらかがいると思うから、いつでも来て」と言ってくれた。
思わぬ邂逅に、早くもこのツアーも幸運に恵まれそうな予感がする。
早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。
宿への帰り道、村の北側に建つチョルテン(仏塔)をくぐり、門になっている部分の天井に描かれた曼荼羅を見ることにする。
ムスタンの村々は北にあるチベットを向いていて、入り口を守るチョルテンは北側が立派なのだとか。そういえば前日カグベニで見た守護神も北が立派な男性神で南が小さな女性神だったことを思い出した。
宿に戻り朝食を食べ終わると羊とヤギの群が通りを占領していた。
ようやく村が目を覚ましたようだ。(その4につづく)