ムスタン旅日記:4 洞窟探検 からのつづきです。
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ローマンタンへ戻り、ランチを食べ休憩を取る。
いよいよ、ムスタンの中心部、王都ローマンタンの城壁内の見学へ。
ローマンタンの城壁内の見どころと言えば、ムスタン国王が住んでいた王宮、そしてチョエデゴンパ、チャンパラカン、トゥプチェンラカンの3つのお寺だ。
2008年に退位した「最後の国王」ジグメパルバル・ビスタは2016年に逝去し、現在この王宮に主はいない。甥がビスタ家を継いだのだが、普段はカトマンズに住み、時々ローマンタンに戻ってくるという生活をしているんだそうだ。
3つのお寺はチョエデゴンパだけが僧院(ゴンパ)として機能していて、多くの修行僧が暮らしている。チャンパラカン、トゥプチェンラカンはいわゆる「お堂(ラカン)」で、僧院としての機能はない。観光するときはチョエデゴンパのお坊さんが、3つのお寺を順々に回って紹介してくれるそうだ。チャンパラカン、トゥプチェンラカンはともに15世紀に創建され、チベット文化圏でも貴重な仏教壁画が残されていることで知られている。地図には「チャンバゴンパ」「トゥプチェンゴンパ」とも書かれているが、現状は「ラカン」というほうが正しいだろう。
まず王宮を訪れると、入り口には「立ち入り禁止」の建て看板がたち、ロープが張られていた。なんと、老朽化した王宮は改修工事の真っ最中で、中には入れないという。ひと目でも中を見ようとするお客様に「危ないからやめておきましょう」と声をかける。
ガイドは王宮の入り口の正面にある広場に我々を残してお寺の入場券を買いに行ってしまったので、しばし、広場周辺に座り込んでいるおばあさんや子供を冷やかして待つことにする。
が、何時までたってもガイドが帰ってこない。「おかしいな、もう小一時間経ってる」とチケットを販売しているチョエデゴンパへ行ってみるが、そこにもガイドの姿がない。
仕方なく広場で待っているとガイドが頭をかきながら帰ってきて、「実は明日からローマンタンでは夏祭が開かれるので、王様(以前の王様の甥の意味、以下同)がカトマンズから帰ってきたんですが、王様がチョエデゴンパのお坊さん全員を連れてピクニックに行ってしまったみたいです。だから案内してくれるお坊さんがいなくて今日はお寺の観光できません」という。
なんてことだ! ムスタン観光の最大の見せ場が見られないとは!
これはクレーム必死だと、全身の毛穴が開く。
しかし、更に話を聞くと幸い明日ならお坊さんが案内をしてくれると言うので、明日の午前中、ローマンタンを発つ時間を少し遅らせてお寺の観光をしようというということになり、ほっと一安心。
しかし、ここまで来てお預けを喰らうとは……。
それはそうと、この後はどうしたものか・・・。
「そうだ、ギャツォさんのところへ行こう!」
朝に訪ねたアムチ(チベット医)のギャツォさんのお宅と博物館を訪ねてみようと話になる。
さっそく訪ねてみると、朝にお会いしたギャツォさんは不在で、今度は弟のテンジンさんが待っていた。
ギャツォさんは、暦を見るために王様に呼び出されたそうだ。
お兄さんのギャツォさんは俗人で学校や博物館の営業担当なので明るく気さくな雰囲気だが、弟のテンジンさんは、アムチであるとともにお坊さんでもあり、薬草に詳しく、実務担当なので、真面目で重々しい雰囲気だったが、お客様に医療関係者も多かったこともあり、テンジンさんのお話に、皆さんお茶を飲みながらフムフムと頷いていた。
これまで風カルチャークラブで日本で唯一のアムチである小川さんの連載を読んだり、講座で直接お話を伺ってチベット医学について多少なりとも知識があったので、何とか添乗員として恥ずかしくない程度に通訳が出来てほっと一息。
テンジンさんのご自宅に併設されたチベット医薬博物館には薬材の標本や、チベット医学を解説した医学タンカも展示されていた。ムスタンで取れた薬草で作られた薬草茶(ハーバルティー)も販売されていて、皆さんお土産に購入していた。
肝心のお寺観光はできなかったが、テンジンさんは、ムスタンの医学の状況を外国人に伝えられてうれしそうだったし、お客様も思いがけない寄り道とお土産をゲットできて満足そうで、結果オーライだったようだ。
テンジンさんのお宅から宿へ戻る途中、いつの間にか子供たちが表に出てきて、クリケットに興じていた。
子供たちの顔はネパールやインドの雰囲気はまったくなく、チベット系だ。日本人にそっくりで50年位前の日本の悪がきたちを髣髴させる。
宿に帰るとサブガイド(兼キッチンスタッフ)の2人が現地の材料でピザと春巻きを作ってくれていた。
現地の食材でも、こんな風に調理されると現地食が続く中アクセントになってほっと一息つける。
夕食を食べて、夜に表に出てみて驚いた。
この日は3日月で、さらに空には雲があったからということもあるのだが、夜になると家々の明かりは消え、街灯のない街は本当に真っ暗で、わずか20メートル先は漆黒の闇と化すのだ。正直言って、軽く恐怖を感じた。
ここには数十年、いや数百年変わっていない「闇への恐怖」がまだ生きているんだと感じた夜だった。
(つづく)