ムスタン旅日記:5 王様とお坊さんのピクニック事件 からのつづきです。
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この日の朝食は、お粥にチャパティ、オムレツにジャガイモと炭水化物のオンパレード。
朝食後、軽く荷造りをして、いよいよローマンタン城内の見学に出掛ける。
我々のガイドがチョエデ・ゴンパから案内役の英語の上手なお坊さんと一緒にやってきた。
案内できるお坊さんが少ないからか、中国人のグループと合同で案内される。
まずはチャンパ・ラカンへ。チャンパとは弥勒菩薩のことで、ラカンはお堂、つまり弥勒堂である。建立されたのは1448年、ムスタン王国の建国者アマパルの息子アングンサンポ王によってだと言われている。創建にはムスタンの主要な宗教であるチベット仏教サキャ派の高僧ゴルチェン・クンガサンポの指導があったとされ、『ムスタン 曼荼羅の旅』(奥山直司 中央公論新社)によれば「ムスタン王の後援と、チベットの高僧の指導、チベット・ネワールの職人の力量によって誕生したと言うことができる」のだそうだ。今でいう「産官学」の連携ともいうべきか。
3階建ての本殿の1階は非公開。階段で1階の屋根に上がり2階から薄暗い堂内へ入ると、正面にご本尊の弥勒菩薩像が鎮座している。チベット各地の弥勒堂は1階と2階が吹き抜けになっていて、2階からは仏像の上半身だけが見えるパターンが多いのだが、このお堂にある仏像は2階だけに収まるサイズだ。天井は高く、堂内の広さは10m四方くらいだろうか。
お堂を見渡して一同が息を飲んだ。周囲の壁が極彩色のマンダラに埋め尽くされている。描かれているマンダラは、ほとんどがチベット密教の瑜伽(ゆが)タントラに属すものだそうだ。金剛界マンダラや大日経系のマンダラなどおびただしい数のマンダラが組み合わされて描かれており、またその色彩も鮮やかで15世紀に描かれたとは信じられないほどだ。本で見たよりもずっと保存状態が良いように見える。
解説のお坊さんによると、数年前にアメリカのNGOの代表者がムスタンを訪れた際にムスタン王にどんな援助が必要か聞いたところ、王は「衣食住は足りている。人々の信仰のためにこの壁画を修復してほしい」と答えたので壁画の修復をしたのだとか。撮影禁止なのだが、お坊さんに相談すると、撮影料を払えば許可してくれるという。ただしフラッシュは禁止。今は観光が先決なので後でまた、と言われる。
しばらく余韻にひたっていたが3階も非公開と言うことで、表に出る。
続いて歩いてトゥプチェン・ラカンへ移動する。
「トゥプチェン」とは「偉大なる牟尼」つまり「お釈迦様」のこと。
その名の通り、本尊は巨大なお釈迦様。脇侍にはグル・リンポチェと文殊菩薩。
1470年代の初めに、2代目の王アングンサンポの息子タシグン王によって建立されたとされている。建物の東側から半地下になった入り口をくぐる。やはり内部は撮影禁止だ。お堂はバスケットボールのコートくらいの広さがあり、高い天井は多くの柱で支えられている。天井の高さは10mほどあり、巨大な壁は巨大な菩薩や如来の仏画で埋め尽くされている。このお堂はもともと42本の柱で支えられたとされていたが、北側の壁を新設した際に7本を壁に塗りこんでしまったため現在は35本しかないように見えるんだそうだ。このお堂の壁画も修復されたそうで真新しく見える。
城門を出て町の北側の仏塔群とマニ車のお堂を見学してチョエデ・ゴンパに戻る。
今日の午後から競馬会があるらしく、お坊さんもみなお休みになっているということで、小坊主たちが、サイコロ遊びに興じていた。写真を撮ると「やめろ、撮るな」と嫌がる。戒律では賭け事は禁じられているのだが、どこにも破戒僧というものはいるのだ。
戻ってくるのが遅かったからか、チケットオフィスが閉まっていて「撮影は午後じゃダメか?」と聞かれる。しかし午後からゲミまで戻らなければならないと告げ、何とかしてくれと要求すると、じゃあ、直接俺に払え、ガイド役の僧侶が言い出す。もしやこっそり彼の懐に? とも思わなくはなかったがお堂の写真撮影が許された貴重な機会なので撮影料100ドルを支払うことにした。しかし、暗いお堂の中での撮影はなかなか難しく、一眼レフよりもスマホのほうがきれいに撮れるという結果に。やはり三脚を持っていくべきだったかもしれない。
1時間ほど撮影して、名残を惜しみつつ終了。ランチを取りに宿へ戻った。
午後は、河口慧海が長期滞在したツァラン村だ。
つづく