文・写真●奥田 博
ブナ巨木を愛でる
風カルチャークラブ(以下、風カルチャー)とのご縁は、前身の「有隣堂カルチャークラブ」からですから、かれこれ10数年のお付合いだろうか。東北の温泉と山のガイド『みちのく百山百湯』や福島県のブナ林と自然保護の関わりを述べた『ふくしまブナ巡礼』、そして宮沢賢治の作品に出てくる山を登った紀行『宮沢賢治の山旅』などの私の著書を読んだ有隣堂の担当者が、カルチャーとは無縁の私に白羽の矢を立てたのだろう。
有隣堂カルチャーから風カルチャーに引き継がれても、私の風カルチャーでの山旅の柱は変わらない。「東北の山と温泉」、「東北の山とブナ林」そして「宮沢賢治の山」の三本柱である。
東北の山と温泉
登山後の温泉の持つ効能は、療養以外に三つあるといわれる。第一に筋肉疲労の回復。第二に身体的疲労の除去。第三に精神的疲労(ストレス)の除去。登山後に利用する温泉は、長い期間の湯治による温泉療法とは異なる。温泉を山旅のしめくくりに置いたときは、山の印象も変わると思う。ハードな山行であればあるほど温泉は大きな位置をしめることになる。汗を絞るほどにかいた夏山、雨に降られ身体中ビッショリの山、身体が芯から冷える冬山などの後の温泉は実にありがたい。登山に温泉は必需品であると信じている。
露天風呂は自然の中の温泉と表現されているが、現代では、そんな露天風呂があるはずもない。山の奥にはいくつか実在するのだが、車を降りて長い距離を歩かなければならない。現代の露天風呂は造られたものだが、うまく借景を取込んだ露天風呂は素晴らしい。そんな温泉に巡り合えるのは、おおむね古くからの温泉。新興温泉はどうしても人工的な露天風呂の傾向が強いように感じる。
東北の温泉も、いわゆる鄙びた温泉が少なくなっている。私は鄙び過ぎたような温泉が大好きだが、改築して見る影もなく新しくなったり、廃業したりで寂しい限りだ。風カルチャーのお客様も必ずしも「鄙び」を求めている訳ではなく、価値観の移ろいもまた仕方のないことだろう。
三斗小屋温泉(大黒屋)
田園地帯に建つ小林温泉
東北の山とブナ林
ブナという木が一躍有名になったのは、白神山地に林道を通す時の反対運動だったと思う。*1 結局林道工事は中止されて、ブナは伐採を免れた。そして白神山地を守るシステムとして森林生態系保護地域に設定され、そのブナの保護地域がそっくり世界遺産に登録された。*2 これによりブナは貴重な存在という認識が広まった。
木偏に無、橅と書いてブナと読ませる。木では無い木、木の価値も無い木、という意味だった。確かに昔は、山にはどこにでもあった珍しくない木であり、水分が多くて家屋や家具には向かないから人間にとって無用な木であったのだろう。その名の通り、戦後はブナ退治と称して伐採が行われ、日本全国の山から姿を消していった。
気が付けば、日本に残されたブナは限られた場所になっていた。まとまった大きな面積を有する場所は、白神山地をはじめとする東北地方に多く残された。
ブナ林は素晴らしいといわれても、ブナの何が素晴らしいのかを自分の五感で知っている人は少ない。その理由は、ブナは山岳地帯のおおよそ標高500mから1,500mの間に広がっており、一部の登山者にしか、その存在を知られていなかったからだろう。
ブナの効果を定性的に現せば、木材生産の場であること以外に広葉樹の森の機能としての効果はたくさんある。水源確保の機能、土砂崩れ防止の機能、さらには二酸化炭素の交換などだが、忘れてならないのは、人間の気持ちを和らげる機能である。あまり好きではないが今風にいえば「癒し」の効果である。
ブナの森をゆったりと歩く。ブナの森は多様で、色々な種類の木々や小さな花、鳥の鳴き声、昆虫や風のささやきまでが美しい。ブナを愛で、歩き疲れたらブナの木の下で休み、流れの水を汲みお茶を沸かす。しばしブナと向き合って時間を過ごす。至福な時が流れる。こんな時間を共有したいものだ。
*1:_x0007_1972年に青秋林道を通す計画に対して、反対運動が起こった。
*2:_x0007_1993年(平成5年)12月、鹿児島県の屋久島とともに、日本で初めて世界遺産に登録された。
イーハトーブから世界に広がる宮沢賢治
宮沢賢治の作品に山の関わりを感じたのは、今から40年も前の早池峰山登山に遡る。早池峰山登山口である河原坊に賢治の詩『河原坊』が、粗末な板に書かれていた。
賢治の山、姫神山
こゝは河原の坊だけれど
曽ってこゝに棲んでゐた坊さんは
真言か天台かわからない
とにかく昔は谷も少しこっちへ寄って
あゝいふ崖もあったのだらう
鳥がしきりに啼いてゐる
もう登らう
河原坊(山脚の黎明)
賢治の山、岩手山
賢治には、山を舞台にした作品があることをおぼろげに知った。その後『なめとこ山の熊』など山名が付いた作品以外に、山名が組み込まれている作品が多くあることを知った。そこで賢治の作品に登場する山を調べ、その山に登ってみようと思うに至った。しかし賢治の山を登る前に、賢治の作品の山に登らなければならなかった。これは素人の私には実に困難だが楽しい作業でもあった。賢治の詩や童話などに登場する山は、実に多彩である。
さて賢治の作品には、どの程度の山が登場するのであろうか。まず、賢治の地元岩手県イーハトーブの山々は合計71山ある。岩手県外では、日本国内が16山で北海道駒ヶ岳から三原山、富士山、比叡山まで出てくる。そして海外の山が11山である。
賢治の作品に登場する岩手の71山を登った紀行『宮沢賢治の山旅』は着想から20年も経た1996年賢治生誕100年の年に上梓された。そして日本国内16座と海外の11座にも登ったが、今後海外も風カルチャーで企画化できればと思う。
大震災を受けた東北
3・11の大震災後、原発事故の影響で東北とりわけ福島県を訪れる旅行者は激減している。そんな中、風カルチャーでは積極的に東北への多彩な旅を企画し、実践され、ささやかだが風評被害に苦しむ東北への経済支援に役立ったように思う。
それはさて置き、日本は今、大震災をきっかけに一人ひとりがライフスタイルを見直し、脱原発への途上にある(と信じたい)。旅のスタイルも変質する可能性がある。「エコ・ツアー」とか「エコ・ツーリズム」といった言葉が聞かれるようになって久しい。日本ではまだ言葉だけが先行して、マガイものが横行しているが、今まで風カルチャーが実践してきたことを続ければいい。お客様と少しでも琴線に触れる山旅、ワクワク感のある山旅が共有出来ればと思っている。