銀装の乙女が舞う!ミャオ族の恋のお祭「姉妹飯節」(中国貴州省)

文●中村昌文

春。誰にとっても、春の訪れとは嬉しいものです。鳥がさえずり、植物が芽吹くように、人間だって気分がなんだかウキウキして、お祭騒ぎをしたくなるのも自然なこと。この時期に行われるお祭は、世界的にも意外に多いのです。お祭期間中は人々の警戒心も解け、気軽に写真撮影に応じてくれたり、普段は見せない素顔を覗かせてくれたりすることもしばしば。

今回は、そんな中でもまだ皆さんにはあまり馴染みがないが、実は今密かに注目を集めている貴州省のお祭にスポットを当ててご紹介いたします。


貴州省・施洞の姉妹飯節(2015年5月4日〜5日)

貴州省とは

四方を四川省、雲南省、湖南省、広西チワン族自治区に囲まれた中国南部の内陸に位置する貴州省。省都である貴陽は「太陽を貴ぶ」と書くように、文字通り曇りがちで雨が多く、山がちな地形から、土地は痩せ、交通は不便で住民の暮らしは貧しく「天に三日の晴れなく、地に三里の平なく、民に三分の銀なし。」という言葉があるほどでした。

近年は道路も発達し、豊富な自然を生かしての林業や薬用植物栽培などの産業も盛んになってきました。しかし、少し道路を離れるとそこは何百年も前から変わっていないかのような風景が広がります。そんな地域だったからこそ、昔からの習慣を守り続けることが出来たのでしょう。貴州省の周辺はミャオ族やトン族、スイ族、プイ族などの少数民族が昔ながらの暮らしを守り続けている、中国でも貴重な地域なのです。


銀装の民・ミャオ族

ミャオ族は、中国西南部の雲貴高原を中心に国境を越えてインドシナ半島北部の山岳地帯に広範囲に分布・居住する民族で、中国領内に約739万人、ベトナム領内に60万人弱、その他ラオス・タイ領内にも数万人規模で居住しています。 貴州省は古名を「黔(けん)」と言い、その凱里を中心としたその東南部を特に「黔東南」と呼びます。 その黔東南に住むミャオ族は、「青ミャオ」「黒ミャオ」などと呼ばれ、藍染の衣装にロウケツ染め・刺繍・織物・銀飾など多彩で豊かな伝統文化を守っています。 特にミャオ族の銀装は総重量20kgにもなるものもあり、他の民族衣装を圧倒するほどの迫力です。


姉妹飯節のお祭

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子供だって銀装です!

(老屯)

そんな彼らの美しい衣装が見られる一番の機会はやはりお祭りです。ミャオ族には旧暦の10月頃に収穫とミャオ歴の新年を祝う「ミャオ年」、中国の旧正月の数日後に各地で行われ、蘆笙の音に合わせて踊る蘆笙会、 男女の出会いを演出する台江、施洞の姉妹飯など数多くの祭がありますが、やはり銀装飾の華やかさから言っても姉妹飯節はその代表と言えるでしょう(「姉妹飯節」の「節」とは節句などと同義でお祭と言う意味です)。

姉妹飯節のメインは何と言ってもその迫力のある銀装です。ミャオ族の銀装は、非常に高価なもので、どの家庭でも全て揃っているわけではなく、家宝として母から娘へ受け継ぎながら、一つ一つ買い足していくのです。 その細工も、村によって意匠が違い「鼓社節」では水牛を、施洞の「姉妹飯節」では鳳凰をあしらっているそうです。

お祭の当日には、多くの露店で賑わい、周辺の村々から銀装を身に纏った少女達がシャンシャンと銀細工のこすれる音をさせながら集まり、男達の太鼓の音に合わせて踊ります。 民家では赤や青、黄色に染めたもち米(姉妹飯)やご馳走、お酒が振る舞われ、祭はさらに盛り上がります。日本でもあったという歌垣が、ここでは今も行われているとも言われています。


姉妹飯節の伝説

ずっと昔のことです。村には同姓の人ばかりなのに、ミャオ族のしきたりでは同姓の人と結婚できなかったので、皆なかなか結婚できずにいました。そこで、年頃のきれいな娘たちは、遠くの村から若者に来てもらおうと、川辺でご馳走を作りお祭りを開きました。この噂を聞いて、付近の村からたくさんの年頃の男たちがやって来て、歌に踊りに、競馬に、闘牛、にぎやかなお祭りになりました。娘たちはここぞとばかり厚くもてなし、別れ際には自分のハンカチにモチ米のおにぎりをたくさん包み、お土産として渡しました。 これを出会いのきっかけに、男たちはしばしば遊びに来るようになり、それぞれ相手を見つけてめでたく夫婦になりました。ミャオ族の伝説によると、姉妹飯節はこうしてはじまったと言われています。現在でも姉妹飯節の時には、闘牛や、歌や踊りを繰広げ、姉妹飯というモチ米のおこわを食べ、若者たちは未来の恋人を探すそうです。