SARS禍の中で

まさかこんな事態になろうとは

“香港やベトナムで「新型肺炎」が流行しいる。その発生源は、中国広東省らしい”そんな情報が、3月中旬から流れていた。しかし“東南アジアの一部でインフルエンザみたいな病気が流行している”くらいに考え、まさかこんな大事になろうとは誰も予想しなかった。

事態が顕在化したのは、WHOが4月2日に、香港と広東省に「渡航延期勧告」が出てからだ。過去に、WHOが海外渡航に関して言及したことはなかったが、今回は、SARSが、航空機を使った移動によって広がったという事態を重くみて、緊急措置として発せられ、外務省もこれにそった形で海外渡航情報を出した。

イラク戦争も終結していない状況下で、旅行業界は、突如としてSARS禍に見舞われることになった。弊社は、4月3日時点で予約を戴いているお客様に弊社の対応をはっきりお知らせすべきと考え「SARSヘの当面 の対処」という文書を作成し4月3日に発送した。殆どのお客様は、比較的冷静に受け止め、キャンセルも数件しかなく、スタッフもほっとしていた。

急転直下、事態は深刻に

ところが、4月20日に北京市の感染者数が大幅に上方修正され、北京周辺の地域が次々と感染地区に指定されだすと様子が一変した。マスコミも感染者が毎日のように増え、死亡者数が増えていく様子を、香港や北京の市民がマスクをし消毒薬を散布する様子と一緒に伝えた。しかし、SARSとはどんな病気でどうやって感染するのか、冷静且つ正確に伝える報道は殆ど皆無といってよかった。飛沫感染だと専門家はほぼ断定しているのに、まるで空気感染であるかのような印象が振りまかれ、空港は勿論、飛行機の機内は、まるでコロナウィルスが充満しているかのような錯覚に人々を陥れた。空港での体温測定などのチェックと、市中の感染者の隔離が進んだことで、3月15日以降、機内感染は全く起きていないのに、そのことは一切報道されず“飛行機は危ない”というイメージだけが広がった。4月25日、雲南省とチベットが人の出入りをストップさせ、弊社の主催旅行は中止を余儀なくされた。出発を翌日、翌々日に控えたお客様に、催行中止の電話を入れた。辛い電話になった。連休明けから、キャンセル電話が殺到するようになった。「海外旅行に行ったら帰国後10日間自宅待機だと会社から言われました」「自分はいいが人に移したら大変」「周りに反対されて…」SARSという病気云々ではなく、SARSに対する防御的対応こそが、旅に出たいお客様の足を止めてしまった。

SARSは防げる

SARS は、飛沫感染なのだからそう簡単には感染しない。飛沫は、通常なら、1メートル以内に落下する。飛沫が、直接口の中に入るケースは感染者と相対さない限り殆どない。医療従事者が、マスクをするのは、治療のためにこの極めて濃厚な接触があるからだ。一般の人々は、飛散した飛沫に触ってウイルスが付着した手で食事をするなどといったケースの方が可能性が高い。これを防ぐ最も有効な手段は「手洗いとうがい」だ。因に、空気感染する感染症は、世界で、結核、麻疹、水痘、天然痘の4つしかない。もし、SARSが空気感染なら、今ごろ全世界で大流行しているだろう。同じ飛沫感染であるインフルエンザの予防法は、やはり「手洗いとうがい」。以前、北極圏のある村で、インフルエンザ対策として、村人全員がマスクをしたが防げず、翌年、「手洗いとうがい」を励行し、見事にシャットアウトした事例がある。インフルエンザは、治る病気だからとあまり深刻に受け止めていない方が多いが、実は、日本でも毎年、高齢者を中心に500人以上が亡くなられている。もっと真剣に、「手洗いとうがい」を全体で励行すれば、インフルエンザも流行を食い止められる病気である。(以上、4/20の日本旅行医学会総会のSARSに関する講演会より)

2つの疑問

それにしても、不思議に思うことが二つある。一つは、SARSの死亡率である。5月7日、WHOは、SARSの死亡率を「24歳以下では1%未満、25歳〜 44歳では6%、45歳〜64歳では15%、65歳以上では50%以上」と発表した。死亡率といったら、その病気に罹った総人数を分母に、死亡者を分子に持ってくると私は思っていた。ところが、WHOは、この時、「回復した人数」を分母に持ってきてこの飛んでもなく高い死亡率をはじき出して発表した。そもそも、マスコミで報道されるSARSの感染者数とは、本当はSARSではない人も含まれているかもしれない「可能性例の人数」である。ならば当然、死亡率の分母には、感染者数=「可能性例の人数」を持って来るべきだ。専門家にはそれなりの考え方があるのだろうが、「警告のために数字を上げたのでは?」と素人考えかもしれないが疑問を感じた。結果 として、この発表は、年配者の旅行熱を奪うことになった。
二つ目は、米国は、死亡者こそ出ていないが、可能性例が6月17日現在78人(世界で第6番目に多く、ベトナムより多い)に及び殆どの州に広がっている。しかし、マスコミはまったくこれを取り上げなかった。米国のみがWHOにそれまで「疑い例」で250名程の人数を報告していたが、4月20日に中国の感染者数が上方修正されるた日に、「可能性例」に変更し人数は35人になった。また、トロントが一端終息したのに再発して大きな衝撃を与えたが、あれとて、何故あんなに早く解除したのか。私の疑問は、WHOやマスコミは、アジアと先進諸国を公平に扱ったのだろうかということだ。勿論、WHOの今回果たした役割は称賛に値するとしてもである。

甚大な被害を乗り越えて

WHO は6月23日、香港を6月25日北京をSARS感染地区から除外した。残るは、台湾、トロントの2地区だけ(6月30日現在)である。各地の観光産業は甚大なる被害を受けた。旅行需要がそう簡単には戻らないと覚悟しつつ、必至の取り組みが開始されている。弊社でも、夏のメインデスティネーションのモンゴルは、たった9名の感染者が出ただけで、死亡者もゼロ、5月11日には早くも制圧し安全宣言が出ているのに、中国に近く「内モンゴル自治区」と勘違いされてか、お客様は激減した。夏場の観光を大きな収入源としているモンゴルで、殆ど、日本人が(日本人以外は、例年近くまで戻っている)来ないのでは、モンゴル経済全体は委縮し、遊牧民達は、冬に備えて干し草を買うこともできない。なんとかしなければと私たちも焦るが、数はまだ少ないがお申込を戴いたお客様を大切に一歩ずつ進むしかない。

テロに戦争、そしてSARS。マスコミは映像的な面白さや、話題性に終始し不安や恐怖を煽り立てるのに熱心だ。幾ら、私たちが、「実際はこうです」と伝えても、大きな流れに抗するのは難しい。実に悔しい。今後も、世界情勢は、楽観を許さない状況にある。私たちは、どんなにマスコミが騒々しくても現地の姿を確実にお客様に伝える手段を持たなければならない。雰囲気や風評になす術なしでは、本当に情けない。そのためには具体的に何をなすべきか。スタッフ一同また新たな模索が始まった。

※風・通信No16(2003年秋号)より転載

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