少年時代の「ある」体験
「女子だって、やってるじゃないか…」しゃくり上げるような涙声で、全身わなわな震えていた。「いじめ」を繰返す男子集団に事情を質すために、一人ずつ立たせて詰問していたK先生は、私の思いもかけぬ言葉に面食らったのか「どういうことなんだ?」と今度は女子を詰問し始めた。「色が白くて…」「下唇が厚くて…」と女子は一人ずつ立ってあれこれ理由を言い始めた。まるで、私の存在そのものを否定するかような言葉が繰返し出てくる。私は、今まで誰にも言えず一人で抱えてきた苦しさが込み上げてきて、もうそれ以上言葉が出なかった。
小学校6年生のこのクラスでは、男子は、ある一人の女子を「きたない」などと言ってその子の机や持ち物に触ろうとはしない。そんな「いじめ」が4年生から横行していた。廊下ですれ違うときなどは避けて通る。体育のダンスの授業などで手を繋がなければならないときは、決して手に触れないで格好だけした。そうしなければ今度は自分が男子から囃される。結果、ある一人の女子を排除する男子集団なるものが形成される。もちろん、男子全員がそうではない。しかし、勇敢に「いじめ」を否定するような正義漢はおらず、露骨に態度には出さなくとも男子の誰もが「いじめ」に同調した。その全く逆の現象が起きて、女子集団は、ある男子を排除した。それが何故私だったのかは分からない。ただ、今思い返せば田舎の町で男子は野性的な子が多かったが、私は、商店の息子で、色が白くてなよなよしていたのかもしれない。
それにしても、ひどい話だが、実は、私も、他の男子と同じように「いじめ」に同調していた。自分が「される側」で苦しい思いをしていたのに「する側」にもなっていたのだ。何故なら、自分が男子集団から排除されないために必死だったからだ。「女子だって、やってるじゃないか…」という悲痛な叫びも、決して正義感から出た言葉ではない。自分だけ救われたいという身勝手な言葉だ。自分の情けなさを棚に上げ、人間とはどうのこうの講釈をたれてその原因をおっかぶせるつもりはないが、「いじめ」は差別同様、多重構造を持っている。本当に人の感情が複雑に絡まりあってカメレオンの様になってしまう。もちろん、この歳になれば論理では了解できるが、いまだに、気持ちの方は中々整理できないでいる。
その後、中学に進んだら不思議なことに、この「いじめ」はすっと消えてしまった。何故だろう。道を隔てて小学校と中学校が並び、中学へ進学しても、メンバーが変わらず、単にクラス替えが一回増えただけに過ぎないのに…。少し大人になったということなのか。理由は、全く解らない。ともあれ、私は、突然、日々の桎梏から解放された。暴力を繰り返し受けたり、お金を巻き上げられた訳でもなかったが非常に苦しくて長い3年間だった。今でも、思い起こすとじわっと冷汗が流れてくる。
私は、この体験を中学一年生の3学期に作文にした。国語の先生から職員室に呼ばれて「桑の実に出すぞ。いいか。」と言われた。「桑の実」というのは長野県の下伊那郡の学校が詩や作文を集めて共同出版している文集のことだ。国語の先生は、正義漢溢れるいい内容だと思ったのだろう。確かに「いじめはいけない」と強く主張したと思う。しかし、私の思いは少し違っていた。書くことで「自分が楽になりたい」その一言に尽きた。惨めなあの体験を自分の中で留めておくことに耐えられなくなっただけだ。私は、今でもこのことを人に話すことができない。一度だけ、家でテレビの「いじめ」報道を見ていて、「実は、小学生の頃…」と自分の息子たちに話し出したことがあったが、どうしてもその先が言葉にならない。「どうして?」と聞かれることが怖いのかもしれない。みんな原因を聞きたがる。しかし、「いじめ」にはっきりした原因などない。でも説明するときは、「○○だったから…」と自分の中のマイナス面 を語らなければならない。何だか、とても自分が惨めな感じがしてしまう。
精神的なケアーの必要性
今も昔も「いじめ」は子供たちの世界ではつきものだ。確かに、昔に比べると随分エスカレートしている。私は、「いじめ」とは「個人を集団が排除すること」だと思っている。1対1なら殴ろうが何をしようが、「喧嘩」に過ぎない。他対他は「争い」で時には戦争になる。しかし、1対他となると話が違う。学校長や教育委員会が、殴ったり、金を巻き上げたり、嫌がらせをするといった行為があったかどうかで、「いじめ」の有無を判断している場合がある。それは違うと思う。暴力は、単に排除の一手段であって、言葉や態度でも排除は可能だ。だから、人間に集団性がある以上、いじめは必ず起きる。何も子供の一般世界に限ったことではない。
一通り男子も女子も詰問に答え終わると、K先生は、もちろん、その非を必死に説いてくれたと思う。しかし、私は、その内容は全く覚えていない。その後も、以前に比べれば露骨では無くなったものの、「いじめ」は続いた。特に、K先生から呼び出しを受けたり、先生と個人的に話をする機会もなかった。きっと大人の世界からすれば「たわいもないこと」で、そんなに深刻になるような問題じゃないと映ったのかもしれない。
子供の世界は、視野が狭い所為だろうか。些細なことでも時にとんでもなく大きな問題になって出口が見つからなくなることがある。そんな時に、心を開いて話ができる存在が身近にいたらいいのにと思う。先生や、親ではなくカウンセラーのような存在だ。大人になれば、もの事には何通りもの解釈があって、道もいっぱいあることが見えてくる。あんまり真剣にならないほうがいいことだってある。私などは、いい加減さが、自分を救うこともしばしばだ。
日本では、精神的なケアーにお金を掛けない。それどころか、「精神を鍛えろ」といった克己の精神や、「人に心の弱さを見せるのはみっともない」といった考え方がある。教会で懺悔をする場面がしばしば映画に出てくるが、日本ではまずあんなことはありえない。その所為かどうかは解らないが、「される側」に何らかの原因があるなどと言われてしまう。あげくの果てに、精神的にもっと強くなれなどと説教されたりする。「いじめ」は、「する側」が悪いに決まっているではないか。しかし、だからと言ってどこぞが答申を出したように「する側」が、罰せられるようになればそれで済むのだろうか。「される側」の心を開き、軽くしてあげる心のケアーがないと「されたこと」への傷が、いつまでたっても残ってしまう。是非、そのことにも配慮をして戴きたいものだ。
最近は、保健の先生がカウンセラー的な役割を果たしていると聞く。中には、市町村の経費でカウンセラーを学校に配置しているところもあるようだ。昔に比べると子供も大人も複雑な世界に身を置いている。カウンセラーという職業はもっと評価されてしかるべきだ。私もあの時、自分の心情を吐露できるような優しい保健の先生がいたら、むしろもっと甘酸っぱい思い出になっていたのかもしれない。
※風・通信No30(2007年春号)より転載