私は、親と一緒に旅をしたという経験がほとんどない。何故なら、生家が菓子屋をやっていたために、親がまとまった休みが取れなかったからだ。今なら、たとえ商売をしていても一週間くらい店を休んで家族旅行に行くことくらいは当り前だが、当時は、「商売人が休みを取って遊ぶなんてとんでもない」という考え方が支配していた。他の店がどうだったかは知らないが、週に一度の定休日以外で店を休むのは元旦ぐらいだったように思う。
それでもたった一度だけ、私が小学校の4年生だったと思うが、6歳年上の兄が痔の手術を受けるために三重県の津の病院に入院したので、親父に連れられて津まで兄の見舞いに行ったことがある。どんなことがあったかは、ほとんど忘れてしまったが、親父が、電車の中で駅弁を食べた後「空箱は椅子の下に置くんだ」と教えてくれたことを今も思い出す。
中学2年生のとき、天理教の“寺”をしていた近所の同級生の家から、“おじばかえり”に誘われた。“おじばがえり”とは、奈良の天理教本部に行って“ひのきしん”などの宗教行事をすることだと説明を受けた。通常なら、誘いに乗ることもなかったのだろうが、この年は、大阪万博が開催されていて、その見学が組み込まれていた。自分で連れて行けないのを不憫に思ったのか、私の親はこの誘いに乗った。私は、喜んで何人かの同級生と一緒にこの“旅”に便乗した。私は、大阪万博などどうでもよくて、とにかく自分の家以外の所に行けることが無性に嬉しかった。
巨大な天理教の本山には圧倒された。 “ひのきしん”というちょっと妙な作業をさせられ、天理高校の生徒たちによる吹奏楽をプールサイドで高飛び込みを見学しながら聴いた。だだっ広い宿舎の食堂で、のりと生卵の朝ごはんを食べた。万博会場では、アメリカ館にもソビエト館にも行かず、並ばずに入れる小さな国のパビリオンを巡ってはスタンプを集めて喜んでいた。もはや個々の場面の繋がりは思い出せないがスライドショーのように画像が浮かんでくる。今でも旅の感想文が書けそうだ。
高校生の時、友人3人で北陸へ旅をした。輪島と金沢に行き民宿とユースホステルに泊まった。詳細は忘れてしまったが、蓑虫のように白い袋状のシーツに包まって、寝るには早すぎる時間にむりやり寝床につかされ、眠れずに困ったことを思い出す。私の記憶では、輪島の朝市で御陣乗太鼓が演奏されていたはずだが、朝から太鼓の演奏はどう考えてもおかしい。もしかしたら夜だったのかもしれない。記憶が夢の中のように入り混じっているが、やはり鮮明に画像が浮かんでくる。
大学に進んでからも、ほとんど旅はしていない。友人たちの中には、当時流行っていたインド旅行に行った者もいたが、私自身は、日々日常の中で起きている様々な矛盾や問題への対処で精一杯で目が外には向かなかった。就職しても、やはりほとんど旅はしなかった。もちろん職場の慰安旅行や友人たちとスキーなどには出かけたが、それは、いわば親睦会の延長とでも言ったほうがいい。本当に旅らしい旅をしたのは、弊社の初代オーナー比田井博(故人)に誘われて1987年の年末に10日間ほど行ったネパールのゴレパニトレッキングである。それが、この仕事をするきっかけになった。
お恥ずかしながら、私がこの仕事に就く以前の旅の経験は以上である。高校生までは仕方ないが、学生時代には、もっと広く世界を観る旅に出ておくべきだったと後悔している。そうしたら、結果の善し悪しは別にして全く違った人生があったかもしれない。
旅には様々な形がある。リゾートもいいだろう。歴史的な建造物や名所旧跡の見学や自然観察もいい。トレッキングや乗馬も楽しい。しかし、弊社は、限られた国・地域のツアーや限られたテーマのツアーしか作っていないから、どんな旅にも対応できますとは到底いえない。それではお客様のニーズに応えることにならないと忠告を受けることもあるが、私たちは、得意なことをもっと極め、限られた人が対象ではあっても、そうした方々から、圧倒的な支持を受け喜んでいただけるツアーを作ることこそがニーズに応えるということだと思っている。
私自身は、叶うことならば、これからは仕事ではなく旅をしたいと思う。最近の私の興味の対象は専ら人である。その土地にどんな人たちが暮らしていて、どんな歴史を歩んできたのか。私たちとは生活や習慣がどう違うのか。どんなことを考え、何を思っているのか。そんなことを知りたいと思う。『銃・病原菌・鉄』の著者シャレド・ダイヤモンドや、宮本常一、本多勝一などには到底及ばないが、そうした目を持ちたいと思う。
既に、母は3年前に他界し父はほとんど歩けなくなり、親と旅をする機会は遂に巡っては来なかった。忙しさにかまけて、そうした機会を作らなかった自分を棚に上げて、こんなことをいうのもおこがましいが、親子、夫婦、友人などで出かける旅は格別なものに違いない。弊社では、こうした旅を「二人旅」と呼んでいるがもっと力を入れていきたい。『原優二と行く旅』などというツアーも作ってみた。私が添乗していくが「一緒に楽しみませんか」というのがコンセプトである。今年は、9月にブータンと年末にネパールを入れてみた。ご一緒していただけたらこれほど幸いなことはない。
※「風の季節便」(2014夏秋号)より転載