2014年の2月にネパールへご一緒した新家靖之さんがこの4月に本を出された。『西の原爆ドーム、東の変電所 戦災変電所の奇跡』(東大和市・戦災変電所を保存する会〔編〕)である。新家さんがお書きになったわけではないが、掲載する資料や写真などの使用許可を得るといった面倒な作業を買って出たとおっしゃっていた。その口振りには強い思い入れが籠っていた。
実は、新家さんは、私と同じマンションに住んでいる。私が10階で新家さんは9階。しかも真上、真下の関係である。数年前に「JATA世界旅行博」(現在のツーリズムEXPOジャパン)の会場で日本旅行作家協会のブースに新家さんが座っているのを見て「あれ?」と声をかけたら、なんと同協会の会員だというではないか。それ以来、時々お話しするようになりネパールへもご一緒し、しばしば家の近くで飲んだりしている。
3度の空襲に晒されながら生き残った
本書でいう「戦災変電所」とは、「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」のことである。西武拝島線の玉川上水駅から歩いて7分ほどの都立東大和南公園(以下、南公園)にある。私は1990年の4月に長野県の丸子町から出てきて、南公園近くの南街地区にアパートを借りて住み始めた。その後、2年ほどして玉川上水駅前のマンションに引っ越した。南公園ではよく子供と遊んでいたが、こんなところに何故、無数の被弾痕が生々しい建物があるのかと、当時から不思議に思っていた。
変電所の歴史は、日本の戦争の歴史と重なる。1938年、僅かな農業収入に頼るだけの貧しい大和村(現在の東大和市)に、東京の大森から「東京瓦斯電気工業株式会社」の工場が移転してきたのである。変電所はこの年に同工場敷地内に建てられている。その一年後に同工場は、「大量の軍用飛行機のエンジン製造」に向けて国の指導で日立製作所に吸収合併された。当時の大和村の人口は僅か5千人ほど。そこに1万3千人が働く工場が移転してきて村は大いに活気づいたという。私が住んでいた南街は、その勤労者住宅として開発された町だったのである。
ご存知の方も多いと思うが、東京の多摩地区は、戦前、「立川飛行場(現在の昭和記念公園)」、「多摩飛行場(現在の米軍横田基地)」、「所沢飛行場(現在の航空公園等)」、「調布飛行場」などが存在し、これらの空港近くに、あのゼロ戦を6,000機以上も製造したことで有名な「中島飛行機」の他、「立川飛行機」、「昭和飛行機」、「東亜航空機」などの民間飛行機メーカーが集中した。当然ながら、これらの大工場の周りには下請けの中小工場が無数に存在したという。さらには「陸軍航空機技術研究」、「陸軍航空機技術学校」、「多摩陸軍技術研究所」、「東京陸軍航空学校」など軍の施設も多数あって一大軍事都市を形成していたのである。(以上は、洋泉社編集部編の『知られざる軍都 多摩・武蔵野を歩く』に詳しい)それ故に、多摩地区は激しい空襲を受け多くの犠牲者を出すことになった。
「旧日立航空機株式会社立川工場」も、1945年の2/17、4/19、4/24の3度にわたって空襲を受けている。最初の空襲は、87機の艦載機(グラマンなど)に午前11時ごろから約30分に亘って波状的に続けられ、76名が犠牲となり工場の約30%が破壊された。変電所は、側にあった3本の大煙突のお陰で傷だらけになりながらも生き残った。
3回目の空襲は、101機のB29による爆撃で、1,804個の250 kg爆弾を落とされ工場は壊滅した。しかし、このときも変電所は爆弾痕を無数に受けながらも生き残ったのである。そればかりか、工場は修復する無駄をさけ地下等への“工場疎開”が検討されたが、結局、地下移転などできず被災した姿のまま終戦まで捨て置かれたのである。しかし、これが幸いし変電所は傷だらけのまままたもや残ったというわけである。
戦後は市民の力で生き残った
変電所は、戦後、同工場の後地に後継企業として移ってきた「小松ゼノア」の所有となり、なんと、被災した姿のままで1993年3月まで稼働した。紆余曲折を経て、1994年、都が南公園造成にあたって「小松ゼノア株式会社(現ハスクバーナ・ゼノア株式会社)」から変電所が立っている敷地を買収することになった。とはいえ都は変電所の保存に後ろ向きでまたもや取り壊しの危機に瀕するが、多くの市民が保存の声を上げ、変電所そのものは、同社から東大和市に無償譲渡されようやく安住の地を得たのである。そしてついに1995年、変電所は東大和市の文化財に指定された。同年「原爆ドーム」も国の史跡に指定されたことを思うと書名の意味も頷ける。
新家さんは、都が小松ゼノアから公園用地を買収した際の同社の担当者であった。現在は、2015年から新たな保存活動を始めた「東大和市・戦災変電所を保存する会」の副会長をされている。まさに新家さんのライフワークに違いない。
少しでもこの本を手に取っていただき「戦災変電所」のことを多くの人に知ってもらいたいと願って本稿を書いた次第である。
*本を購入されたい方は弊社までご連絡ください。
※風の季節便(2017年秋〜冬号)より転載