所要時間35分。上りは横浜駅から午前8時と午後4時に出発し、下りは品川駅を午前9時と午後5時に出発する。1日2往復。これが明治5年(1872年)5月7日に日本で初めて開業した鉄道の時刻表である。1854年、ペリー2度目の来航時、将軍へのお土産として蒸気機関車の模型を持ってきてから僅か18年で日本に鉄道が走り始めたことになる。
同年6月5日に神奈川駅と川崎駅が完成すると、横浜駅を午前8時に出発した列車は、神奈川駅午前8時6分発、川崎駅午前8時22分発となる。果たして、明治の初めに分単位の時刻表が機能したのだろうか。時刻表には≪遅くとも表示の時刻より10分前に駅に来て切手(切符)を買って手続きをするべし≫といった旨の注意書きがあった。定刻に出発するから遅れないように早目に来て待てというのである。何と出発時刻の3分前には駅のドアを閉めていたそうだ。大した自信である。当時は1日を2時間ずつ12分割し、深夜0時を挟んだ2時間を、十二支を使って“子の刻”と呼び、通常は2時間単位、最小でも四半刻(30分)が時刻の単位だったはずだ。かなり無理をしてでも、西洋と肩を並べたいという明治の精神だったように思う。
明治5年(1872年)9月12日、品川から新橋まで延伸され、新橋から横浜に列車が走り始めた。利用者は予想以上で1日9往復に増便されている。
鉄道が旅を変えた
鉄道が如何に生活を変えていったかは想像に難くない。横浜から江戸へは行くには1泊2日を要したのに日帰りが可能になった。普段は止まらない急行が川崎に臨時停車し、川崎大師への正月三が日のお参りが盛んになり日本に初詣が定着した。成田山新勝寺は、船で深川から行徳へ行き船橋で1泊。翌日、成田街道を大和田、臼井、佐倉と抜け夕刻成田着。翌日参拝し同じ道を1泊2日で戻るから3泊4日のまさに小旅行であったが、これも日帰りが可能になった。柳田国男は、『明治大正史』で旅は単純になり道筋を楽しむこともないと指摘をしているが、鉄道という革命的な新技術が新しい旅の可能性を開いたといえよう。
明治2年の朝議決定から両京間幹線鉄道完成へ
ところで、2番目、3番目の鉄道はどこだったのか?2番目は、明治7年(1874年)5月、大阪〜神戸。明治10年(1877年)に京都まで延伸。その後は、北海道の幌内鉄道や釜石鉄道、大津〜神戸間へと続く。京都の先は敦賀まで延伸され、北前船の荷を馬の背ではなく鉄道で運ぶようになった。
このような日本の鉄道敷設は、明治2年(1869年)12月12日の朝議で「東京と京都を繋ぐ幹線を通し、支線として①東京〜横浜、②琵琶湖辺り〜敦賀、③京都〜神戸の敷設」が決定されたことを受けて着々と進められたのである。
面白いことに、両京を結ぶ幹線は、当初は中山道を通すことで決まった。何故、峻厳な山峡を通そうとしたのか。実は、東海道は、街道として整っている上に、東京と大阪間は既に蒸気船による定期航路が数社の外国船によって開設されていたので、交通・運送不便な中山道が選ばれたのである。また、富岡製糸場などの絹製品を横浜まで運ぶことも大きな理由となった。しかし、工事は困難を極め碓氷峠が越えられず、途中で東海道に切り替えられ、明治22年(1889年)7月1日、ついに新橋から神戸間の幹線鉄道が開通したのである。1日1往復の運行で所要時間は約20時間。それがどんなに革命的な出来事だったか。想像しただけで愉快になる。
私鉄ブームから1906年の国有化へ
しかし、ここからは私鉄ブームが一挙に沸騰し、1886年から1892年までの私鉄認可の出願数は53社にものぼった。折しも、この時期は日本全体で株式会社の設立が相次いだが、その中心に鉄道業は位置したのである。背景には、政府は資金不足でこれ以上の鉄道敷設が不可能だったという事情はあるが、西洋に倣い民の力で鉄道は運営するべきだという声も多くあった。理由はともあれ、鉄道は投資の対象として有望視され、それが日本中に鉄道網を広げる結果に結びついたのである。実に、「日本鉄道」を始めとした5大私鉄の開業距離は1900年当時で3057.9km(65.4 %)を占めた。しかし、日清戦争、日露戦争を経て軍事的な理由等を含め、鉄道の一体的運行が求められ、1906年3月鉄道国有法が成立し、日本の鉄道は国有化されることになったのである。
鉄道の父、井上勝
明治という時代には、必ずその分野を開き発展させた人物がいる。後に鉄道の父と称された“長州ファイブ”の一人井上勝もその一人だ。彼は、外国人に頼らず日本人だけで鉄道事業を行うことを目指した。幕府が承認した外国管理方式を否定し自国管理方式を採用。明治10年(1877年)には工技生養成所を開き若い技術者を育て、明治13年(1880年)にその卒業生ら日本人だけで逢坂山トンネルを完成させ京都と大津駅の間に鉄道を通した。この自立自闘の精神が素晴らしい。
観光交通論なる授業をこの4月から亜細亜大学で受け持つことになった。江戸期のお伊勢参りと五街道発達の話から始め鉄道を取り上げた。まるで歴史のような授業だが私自身はとても面白い。学ぶべきことは沢山ある。まだまだこれからだ。
*参考文献:老川慶喜 著(2014)『日本鉄道史 幕末・明治篇』中央公論新社
※風の季節便(2018年秋〜2019年春号)より転載