旧木沢(きざわ)小学校は、明治5年に修身学校の名で発足した歴史ある学校ですが、過疎が進み平成3年に休校となり現在は、廃校が決まっています。現在の校舎は昭和5年に建てられた木造校舎で、地域方々が壊すのは忍びないと、木沢地区活性化推進協議が中心になって、何とか残そうと頑張っていて、現在は、常設の形での展示が行われています。でも、まだ、最終的に残せるか否かは決まっていなとのことです。維持するにはお金が掛かります。行政には、その力は、ありません。
しかし、同協議会会長の松下規代志さんと「校長」の山崎博文さんの両名が毎日ボランティアでこの展示を続けています。利用料は、一人たったの200円。松下さんは「金儲けでやっとりゃせんもんで、いいんな、みんなが、ここに来て、喜んでくれりゃあいいで。」と、全く色気がありません。こんな好い人がいるんだなあ、とすっかり感心してしまうほどです。今回も、お二人には大変お世話になりました。
さて、この旧木沢小学校で、岩島謹司さんという長年この村で暮らしてこられた方に霜月祭りについての講義をしていただきました。岩島さんも木沢地区活性化推進協議の役員で、誤解を恐れず申し上げれば、この地区のお年寄りは、皆さん、本当に、お元気です。
「そもそも、この地区の暮らしは、、、」と岩島さんは切り出し、しばらくは林業を中心とした生活の様子を話してくださいました。この地区は、山が豊かだったから、素材をそのまま売っているだけで生活ができた。明治以降は、王子製紙が入ってきて、村の人たちは、日雇いで働いた。生産するという意識が無く製材しないで原木のまま売っていた。こうぞだって紙にしないでそのまま出していた。従って、加工するといった工夫がなかったから技術が発達しなかった。戦後、林業が廃れると土木建設業に代ったが、やっぱり「日雇い」だった。
なるほど、それが、霜月祭りとどう関係するかは分かりませんでしたが、労働の切り売りは、本当にダメだなあ。豊かであるが故に工夫しないか、本当にその通りだなあと感じました。また、岩島さんの、子供のころからのこの村での生活実感が、お話のそこかしこに見受けられとても印象的なお話でした。
(つづく)