最近は、正月に日本にいれば、箱根駅伝をテレビ観戦する。一日約六時間弱、マラソンだって二時間以上掛かるから途中で飽きることもあるのに、箱根駅伝は、見ていてあまりその長さを感じない。何故だろう?
往路復路合わせて216.4キロ、それを10区間、一人20キロ以上を走る。いわば、ハーフマラソンを10人がそれぞれ走るという過酷なレースだ。今回で84回を数え、陸上の男子長距離選手なら誰でも憧れる。
今年は、昨年優勝した順天堂大が、往路5区の箱根の山登りで棄権となる大波乱があり、その後も、9区で大東文化大が、最終10区で東海大が棄権した。3校が棄権したのは箱根駅伝史上初めてだそうだ。
何故、毎日練習を欠かさず、満を持して出場する選手が、ふらふらになって走れなくなるのか、前々から不思議でならない。順天堂大の選手は、体に力が入らなくなり膝から前のめりに崩れた。原因は脱水症状からくる低血糖だそうだ。そうなる前に、少し休んで水を補給すればたすきは繋げたのではないかと監督は試合後悔恨の念で振り返った。
箱根駅伝は単純なルールしか持たないが、そのルールが実に多くのドラマを生む。10位以内が翌年のシード校になる。11位以下は、来年は過酷な予選会を勝ち上がらないと出られない。優勝もさることながらこの10位争いが泣笑いの境界線になる。むしろ優勝より、10位確保が熾烈さを極める。また、先頭から20分以内に繋がないと繰り上げスタートになってしまう。
昨年、神奈川大学が復路の最終の10区に繋ぐ鶴見中継所で、目前で繰り上げスタートがあって、たすきを繋げなかった9区の選手が泣き崩れたシーンがあった。駅伝の最大の眼目は「たすきを繋ぐ」ことにある。棄権や繰上げスタートは、もっとも屈辱的なことだと言われている。
単純だが、実に過酷なルールである。一生悔いを残す選手もいるだろう。その後の人生が変わってしまう選手もいるかもしれない。しかし、この厳しさが、箱根駅伝の伝統と重みをつくり、選手の必死さを生み出している。「スポーツは楽しむものだ」とばかりに、なんでもどんどん楽な方向に流れる昨今、こんな世界は、もはや、数少ない。大切にして欲しい。
一見単純な走るという行為の連続が、それほど面白いものだとは以前は感じなかった。最近は、実に面白い。泣笑いのドラマや、競技としての面白さは副次的なものに感じる。じゃあ何故っと、つらつら考えてみたが、それは、大学生という限られてはいても青春を謳歌する若者達への嫉妬心にあるように思う。
その大学生たちが、体を思い切り使って躍動する姿に嫉妬心し、同時に、「さあ、あと少しだ、頑張れ!」と応援してしまう。自分が歳をとった証拠かもしれないが、自分が大学生だった頃への郷愁と一緒に、若者が頑張る姿を見るのがだんだん嬉しくなってきたということのようだ。