先日、NHKで「セーフティーネットクライシス」という、一時間半の番組をやっていた。セーフティーネットには、年金、健康保険、労働保険、そして、生活保護などがある。かつては、家族が支え合うことでその役割を果たしたが、現在は、核家族化し、社会がそれを担わなければならなくなった。しかし、その実態は、意外と知られていない。
日本は、現在、非正規社員が30%を越え、その比率はバブル崩壊前の倍になった。どうも、それが行き過ぎだ、というのである。非正規化した労働者が国民健康保険に流れ込み、その結果、保険料を払えない人が増え、国民健康保険制度そのものが危機に瀕しているという。
国民健康保険は市町村で運営されているが、保険料負担には、かなりばらつきがあるらしい。大阪の或る市では、年収200万円の人の国民健康保険料が、53万円だそうだ。こうなると、もう払えるはずがない。全国でも、保険料が払えず無保険状態に陥り、医療が受けられず命を落とす人が増えている。
一方で、技術の継承ができなくなり生産性が落ちてきた、と企業は慌てていると言うから不思議だ。誰が、非正規化を推進してきたのか。企業は、雇用という社会的責任を持っている。雇用し、社員とその家族の生活を支えていく。風のような小さな会社でも、その責任は当然ながら掛かってくるし、雇用こそが、どんな小さな会社でも社会的に存在意味がある証である。
しかし、アメリカ型のプラグマティズムで、何でも実利的優先の経営は、経営者の倫理観や、責任感をも壊してしまったようだ。
番組の中で、ある中小メーカーの社長が、予期せぬ販売不振に陥り、社会保険料を3年間に亘って滞納し、その額が1000万円を超えたが何とか収めた。しかし、またいつ収められなくなるか不安だ。と語っていた。社員の顔が見えるから逃げられない。かつて、日本の経営者は、社員の顔をみて家族のように一緒に生きていこうとしてきた。みんなで幸せになろう、ということだ。
最近は、「自分だけ、、、」と社会も個人も考える人が多い日本になったようだ。誰が、こんな方向に舵を切ってしまったのかと最近はよく考える。