続・旧友

つむじかぜ250号より


9月6日の日曜日、何人かで墓参りに出かけた。最近は、彼との付き合いがあまりなかったため、知り合いから案内された今回の墓参りが一周忌に当たるとは知らず、少々ばつの悪い思いをした。それでも、初めて奥さんに会うことができ、生前の話を聞けてよかったと思う。

朝日新聞社を辞めてからは、フリーライターとして家で仕事をするようになっていたそうだ。お酒と煙草が離せなかったようだが、煙草は、減らそうと努力していたらしい。カートン買いをやめて一箱ずつ買っていたそうだ。近所の煙草屋のおばちゃんに「一箱しか買えなくて悪いねえ」とその度に言っていたという。彼らしい優しさが伝わってくる話だ。

亡くなる一ヶ月位前からは、その大好きな酒と煙草にも手を出さないくらいうつ状態がひどくなり、すっかり痩せてしまっていたそうだ。何をどう悩んでいたかは、私に知るすべもないが、50代は、どうもそうなる人が多いという。同年代としてなんとなく分かるような気がする。

先日、瀬戸内 寂聴があるラジオ番組で「どんな人間にも生きている意味がある。その意味を考えればそう簡単には死ねない」そう、おっしゃっていた。私には、正直よく分からないが、自分の周りでこう度々あると、幾ら元気な私でも少々沈み込んでしまう。

私は、葬式とか墓参りにはなるべく行くようにしている。葬式は、時には生前を知らない場合だってあるが、人の死に手を合わせることには変わりがない。最近は、墓参りの代行までが商売になるらしい。どんな時代になろうが、人の死には、神妙に向き合いたいものだと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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