16日(土)、フジテレビが放映した『神戸新聞の7日間』という実話をドラマ化した番組を見た。悲惨さを、ことさら大袈裟に扱ったようなドラマは、あまり見ないし好きではない。しかし、阪神淡路大震災には、数え切れないほどの悲しい出来事と、悲しみを受け止めて生き抜く人々の姿があったことは事実だ。この事実は、未来に伝えなくてはならない。
神戸新聞は、被災に遭った自分達が伝えるんだと、京都新聞の協力を得て必死になって新聞を出す。同新聞社が残した未発表の写真を織り交ぜ、演じる俳優とダブらせながら、実際の人物も登場させて当時を語る。どこか、NHKのプロフェッショナルを思い出させるような作りだから、少々大袈裟なところはあるが、納得できるリアリティーもある。
一人の論説委員が、社説で「被災者になってわかったこと」と題して、自分の父親が、昨日の地震で生き埋めになって亡くなったことで、初めて気づいた被災者の気持ちを綴った。まるで一言、一言、つぶやくように書かれたその言葉は、自分の心情を綴りながらも、自分を対象化し、一つの真理を伝えることで、見事な社説となっている。
我が息子達もこの番組を少し見ていたが、二人とも、阪神淡路大震災の記憶は殆どない。仕方ないことだが、それは、私の親が経験した戦争の記憶が、私にはないのと同じことかもしれない。しかし、私は、経験しなければ分からないとは思わない。書物からでも、戦争の悲惨さは十分想像できると思っている。新聞が、意外にも、テレビよりリアリティーがあるのは、その想像力がフル稼働するからだと私は思う。
折りしも、ハイチを襲った大地震が報じられている。私は、これに対して、どういう想像力を働かせたらいいのだろう。貧困と政治、社会の混乱、そして地震。間違いなく、自然災害より、その後の混乱による人災の方が、遥かに悲惨に違いない。時には、想像することが本当に嫌になる。まさに、ハイチは、そうだ。