にわかに電子書籍の話が沸騰してきた。紙の本を電子データに置き換えること自体は、技術的には何ら問題ないことだ、と私でも想像がつく。なのに、何故、ここに来て騒ぎ出したのか、少々不思議に感じた。
その理由は、Amazonの「キンドル」が来月、日本でも発売されるが、アメリカでは、Amazonが、直接、作家と契約し、著作権料を販売価格の約7割も払っているので、それが、そのまま日本に導入されれば、有力な作家はそちらに流れ、出版社は苦境に立たされるという危機感からのようだ。
最近、アメリカでにわかに普及しだした理由は、使い勝手のよい専用端末の登場と、簡便な電子書籍の入手方法の実現、紙の本より低価格、といった条件が整ってきたからのようだ。
どの業界でも、ネットによって既成の商売が基盤を失い無意味化するという現象が起きている。今日の日経新聞でも、出版社がやっていけなくなれば、作家を育てる出版社の役割も失われるのでは、と危惧していた。出版社は、流通ではなく価値創造という機能を持っている。ネットが普及しても価値の創造そのものが不要になるわけではない。
しかし、ネット販売の拡大は、物作りより、流通の方が桁外れに大きな力を持ち出したことに大きな特徴があると感じる。出版社は、価値の創造をしながら流通にも大きく関わってきた。そこで大きな利益を生み出してきたから、価値の創造をする余裕があった。
ところが、ネット「革命」で新興勢力が登場し、苦境に立たされ、あえなく基盤を失い色あせていく。いやはや、うかうかしていられない。今まで積み上げてきた努力はなんだったのかと嘆いても意味がないことだけは確かだ。
しかし、どう考えても無意味だと思うことが、富という価値を持ち始めると企業の社会的な存在価値とは何かという疑問が沸いてくる。例えば、携帯電話で、無料の釣りのゲームが流行っている。最初は無料でも、上手くなるために道具や餌などをネット上で買い続けることになる。その結果、ゲームを販売する会社は、巨万の富を生み出した。いったい、これにどんな意味があるのか、私には、殆ど理解できない。