子供のためにできること

つむじかぜ309号より


海外に行く度に、語学の必要性を痛感し、一念発起しますが続いた例がありません。そうこうしている内に、あっという間に年月が経ち、50歳を超えてしまいました。もちろん、まだまだ勉強だって何だってできるさ、と開き直ることもできますが、今更なあ、、、という気分にもなってしまいます。最近は、覚えていたはずのことも、なかなか口から出てこないことだって結構あります。そんな時は、とっても不安になりますね。勉強どころの騒ぎじゃありませんよ。

それにしても、高校生のころ、どうしてあんなに勉強しなかったのかと、最近になってしみじみと悔やみます。私の場合は、目先のことに心を奪われたというより、人生の明確な目標が当時はなくて、大学へ行く時点では典型的なモラトリアム状態だったことが原因だったように思います。

今、この仕事をしていることを悔やむとかいうことではなく、漠然と、なんともったいないことをしたのか、勉強していれば違う世界もあったろうに、と思います。

今、まさに、私の次男坊が、同じような状態です。私からは、そう見えるだけで、本人は違うのかもしれませんが、私は、自分の経験と重ね合わせて、『今だけだぞ、勉強できるのは』などとあれこれ言ったりもします。しかし、自分のできなかったことを棚に上げて体のいいことを言っても、説得力があるはずがありません。そう、高校生になってからあれこれ説教しても仕方ないのです。

じゃあ、もっと子供が小さな頃にどうすればよかったのかというと、子供たちに、色々なタイプの大人と接する機会を、もっと多く持たせればよかったなあと思うのです。今の子供たちは、同世代の子供の世界ばかりで生きています。もっと大人の話や、その生き方に接する機会を作れば、自分が大人になったときの像がはっきり見えるんじゃないかと思うのです。

せめて、大人と一緒にご飯を食べ、大人の話を、脇でじっと我慢して聞く。そんなことでもいいんじゃないかと思うのです。しかし、大抵は、子供は直ぐに子供だけで遊んでしまい、大人は大人だけで話している。これが一番ダメなんじゃないかと思うのです。

まだ、間に合いますかねえ。できる範囲で、いろいろやってみようと思います。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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