3.11

つむじかぜ470号より


3月11日、マスコミでは、普段はすっかりなりを潜めてしまった東日本大震災に関する報道が一日中続いた。風化の原因をつくっているマスコミが風化の問題を取り上げるのに違和感を感じつつ、何もできていない私自身も、マスコミと大差ないと感じる。

きっと、現場の行政や住民は、現実と向き合って懸命に取り組んでおられるに違いない。しかし、様々な思いと利害が絡み合って上手くいかないケースが目立つ。一度、こんがらかってしまったら解いて最初からやり直すことは難しい。現場のご苦労を思うと軽々と物は言えないと思う。

何メートルの高さの防潮堤を造るかが議論になっているが、まさに、そんな難しさを痛感させられる。中には、住民の声で、町が提案した高さより低い防潮堤をつくることが決まったケースもあるそうだ。防潮堤が高すぎて漁業ができなくなれば人が住めなくなる。何のための防潮堤かということになるからだ。

マスコミは、「防潮堤の高さより、いち早く逃げるよう町全体で取り組むことが大切だ」と、したり顔で解説する。しかし、それを未来永劫、緊張感を持って続けていくことが、どんなに困難かについてはあまり触れない。三陸海岸は、昭和の時代にも津波の災害を受けているのに、「津波てんでんこ」の思いは伝わらなかった。

三陸海岸沖に津波を感知するシステムを構築しようという計画があるそうだ。もちろん、難しくても、地震が来たらいち早く逃げることを習慣付けなくてはならないし、毎年、その大切さを思い出し訓練を継続することが大切だが、こういう仕組みが可能なら、科学の力を大いに利用したらいい。

同じ科学の利用でも、原発に関しては、やはり勘弁願いたい。科学で自然を人間の思うようにコントロールできるはずはないし、ましてや絶対に安全な原発などつくれないことは明白だ。

「限りなく危険性をゼロにするよう最善の努力を重ねる」と言うと、なんだか大丈夫そうな感じがするが、どんなに可能性は少なくても一旦事故になれば、その被害は甚大過ぎるし、且つ、解決までには途方もない年月と費用を要する。人間社会が許容できる範囲の事故ではない。もはや、これ以上間違いを繰り返すべきではない。それが、子々孫々への責任の取りかただろう。

3.11は、人間の驕りと油断を反省し、人の命の尊さを思い、自分を振り返る日にしたい。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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