司法が、こんなに明確な判断したことが過去にあっただろうか。憲法第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあるが、大方は、“公共の福祉に反する”ということで基本的人権は制限されてしまう。
しかし、5/21の大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁判はまったく違った。その判決要旨を読んで、その明快さと凛々しさに思わず感心してしまった。
中でも、「被告のその余の主張について」は圧巻である。以下そのまま掲載する(読みやすさを考慮して3段落に分けた)。
このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。
私の心の中で、もやもやしていたものが一挙に吹き飛んだ。一番大切なものは何か、言いたくても、どこか遠慮していたが、こんなにすっきり言い切られると唖然としてしまう。福島原発事故後の未来をどう考えらたら良いのか、その答えがこの判決要旨の中にあると思う。
高裁、最高裁と進めばこの判決もどうなるかは判らないが、そう簡単にこの判決を否定することはできないだろう。何故なら、この判決には、福島原発事故という紛れもない歴史的な事実が背景となっているからだ。
新聞各紙で、この判決に対する評価は二分している。「原発容認派と否定派」。久々に、日本の中で明確に賛否が分かれる議論が生まれてきた。この判決が、その議論を深めてくれたらいいと思う。
まずは、新聞の解説記事ではなく、この判決要旨の原文を読んで頂きたい。議論は、それからである。