『売らない・貸さない・壊さない』一私企業が、こういう原則を長い間守り通すことがどんなに難しいことか。しかも、ワンマンオーナー会社の一人の経営者がこだわったというならともかく、それなりの規模の会社で経営者が交代する企業において、そのこだわりを引き継いできた。そんな企業が、今時の日本にあったことに驚いてしまった。
その片倉工業とは、いったいどんな企業なのか。明治から大正にかけて絹糸の製造で財をなした片倉財閥がその原型である。私の田舎の信州の諏訪に『片倉会館』(正式には片倉館)と呼ばれていた温泉施設がある。小学校6年生の社会科見学で訪れて、みんなで湯に浸かったことを覚えているが、建物とその浴槽の見事さが際立っていた。
きっと何か関係があるだろうと、調べてみると、片倉館は、昭和3年に片倉製糸紡績株式会社(現片倉工業)の社長であった二代片倉兼太郎が地域住民の温泉施設として1928年に創設したのだそうだ。(片倉館のHPより http://goo.gl/cCb8nk)文化とそこに込められた魂を大切にする片倉工業の精神が感じ取れる。
昭和14年(1939年)富岡製糸場と片倉製糸紡績(株)とが合併。昭和62年(1987年)に操業を停止したが、世界遺産登録を目指すことに同意して平成17年(2005年)、富岡市に寄付するまでの18年間、ほぼ原型のまま保存してきたのである。
昭和62年の操業停止当時の柳沢晴夫社長が、富岡製糸場の閉所式で述べたあいさつの中で『売らない・貸さない・壊さない』を原則として掲げたという。
同社は富岡市に寄贈するまでの18年間3人の職員を置いて保存に努めた。中でも火事には細心の注意を払い、見学者には、たばこを一切吸わせなかった。コストは年間1億円に上ったが「売らない、貸さない」の方針も貫かれた。テーマパークやスーパーマーケット…。さまざまな提案が寄せられたが、同社は富岡製糸場を守り通した。(6/2の産経新聞より転載)
私は、数年前に富岡製糸場を訪れた。見学者はまばらだったが、三々五々訪れる見学者を順番に20人ほどのグループにして、ボランティアガイドがついて見学するという仕組みになっていた。110の建物の内、見学できるのは2棟だけだが、十分見ごたえがある。
6/21、ドーハのユネスコの会議で世界遺産として登録された。同時に、傷みの激しい部分を、富岡市は施設の修復をする義務をも負わされたことになる。すべての建物の修復を終えるには30年の期間と100億円の費用がかかるそうだ。
一私企業がやってきたことが、行政と市民たちに引き継がれた。世界遺産になれば観光客がどっと押し寄せる。原則を貫いて、タバコは吸わせない。そんな厳しさを保ってほしい。もちろん、毀損の原因は火事だけではない。くれぐれも観光でその価値を毀損することがないようお願いしたいものである。