ある朝の駅で

つむじかぜ496号より


朝の通勤電車に乗ろうとホームで待っていると、小学生の一団がやってきた。3年生か4年生くらいだろうか。まだ幼さが残っている。みんなリュックを担いで紅白帽をかぶっているからきっと遠足にでも行くのだろう。

班毎に並ぶと、先生の手の合図で全員がホームにしゃがみ込む。中には、そのままホームに体育座りする者もいる。何年も前になるが、ソウルの金浦空港のゲート前で床に座り込む修学旅行の高校生の一団を目にしたことがある。これだけはやめて欲しいと思う。

私も小学校の教員をしていたから、教員が何故こうするかは理解できる。座ったほうが、全体が把握しやすいし、子供の動きを制限できるからだ。運動場や、公園ならまだしも、駅のホームはさすがに綺麗ではない。外国人が見たら奇妙な行動に映るに違いない。その場所にあった行動をとることを教えることが大切である。

本を読みたかったので、その集団を避けて電車に乗ったら、車両の中も同じ学年ぐらいの小学生の一団で一杯だった。先生から教わったのだろうが、大人が乗ってくると席を空けてくれる。私も譲られて座った。通勤電車だから次々に大人が乗ってくる。その度に、子供が立ち上がるので、車内はずっとざわついていて落ち着かない。とても本など読める雰囲気ではないので子供たちの様子を眺めていた。

一人の女の子が、子供の集団を掻き分けてこちらの方にやって来て、鼻を両手で摘んで「臭い」とひそひそ声で言い出した。「なんか○○がウンチしちゃったみたい」周りの女の子が一斉に後ろを振り向く。しかし、満員の人影で見えはしない。臭いは、振り向いた女の子たちのところまでは届いてこなかったせいか、それ以上の騒ぎにはならなかった。

花小金井の駅について、この集団が降りていったが、私の斜め向かいの座席に座っていた背の高い男の子が、一番最後、みんなが降り終わった後にそっと立ち上がって今にも泣き出しそうな顔をして降りていった。その子のズボンのお尻が濡れていた。

私も似たような経験がある。大人になってしまえば、どうということはのだが、その時の惨めで悲しい気持ちがよみがえってきた。誰か助けてやってほしい。すぐに駅のトイレに連れて行って汚れた体と衣類を洗って欲しい。私はそう願った。

「何してるの。しょうがないなあ。自分が悪いのだからそのままいなさい」万が一にも、そんな対応をする先生でないことを願った。子供の粗相を汚いといって始末できないような教員が、昔、私の同僚にいた。そんな先生だったら最悪である。

小学生ならこんなことはよくあるので、用意のいい先生なら男女一人分のパンツとズボンくらいは持っているものだが、果たしてどうだろうか。保健の先生が同行しているならそんな準備もあるかもしれないと淡い期待を抱いた。

男の子が降りる前に、2人の女の子が、男の子のことを気にしながら降りていった。この2人が「先生、○○君がおもらししちゃったみたい」と言ってくれるのではないかと、私は期待した。本人からは、きっと何も言えないに違いない。臭いといって避けないで、助けてあげるような優しい子がいることを願った。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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