ペリリュー島

つむじかぜ524号より


「ペリリュー島」は、歴史上、余りにも悲惨な出来事があったのに殆ど知られていない。その後の1945年2月19日から始まった硫黄島の戦闘に比してすっかり忘れ去られた出来事になってしまっている。アメリカ軍は、3日で終わると思っていたようだが、1944年9月15日から2ヶ月以上にわたって死闘が繰り返された。日本兵は10,000人以上、アメリカ軍も1,700人以上が戦死している。

今回、天皇陛下の強いご希望で、天皇皇后両陛下でパラオをお訪れ、激戦地ペリリュー島で戦没者の慰霊をなされた。日本兵のみならずアメリカ兵も含めての慰霊である。4月8日、ご出発の前のご挨拶では以下のように述べられている。

『本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います(後略)』
(NHK NEWS Webより転載、全文はこちらを参照

『ペリリュー・沖縄戦記』(講談社学術文庫 ユージン・スレッジ著)という本がある。買ったまま、つい後回しになっていたが、昨日、この天皇陛下の慰霊訪問のニュースを見て読み始めた。戦記というより戦場での一兵卒としての思いを綴ったと冒頭には書かれている。

天皇陛下は、日本兵だけでなく、アメリカ兵も含めて慰霊され、その遺族の方々の苦悩をねぎらい、さらには現地の人々に感謝の気持ちを述べられた。とかく、戦争について語ると日本人の被害ばかりが強調されるが、そうではない。戦争そのものを否とする平和への祈りでなければならない。それを、改めて教えられたように思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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