モンゴル人の祖先たち

つむじかぜ525号より


モンゴル人の祖先はどんな人たちだったのか。私たちが歴史の教科書で見聞きした「匈奴」が、その祖先だったといわれている。当然ながら、黄色人種(モンゴロイド)だったと誰しもが思っているに違いない。しかし、「匈奴」は、もしかしたら白色人種(コーカソイド)だったかもしれないという説がある。では、同じように教科書で耳目した「スキタイ」はどうだったろうか。白色人種である。これは疑いのないことのようだ。

騎乗姿の「匈奴」を見て、漢人が「あなたは何であるか」と問うたら「フン(人)である」と答えたことから、そのままフン族という民族名になったという。モンゴル語でフンは人のことであり、文語ではフンヌという。匈奴は、紀元2世紀ごろ中国の北辺で消息を絶ち、一部はキルギスに移り、4世紀にはヨーロッパに登場する。5世紀には、アッティラ大王が登場し、ハンガリー高原までその勢力範囲を伸ばした。ハンガリーは漢字では「匈牙利」と書く。アッティラ大王は戦争をすることが商売のようになり、東はカフカス、西はライン川、南はドナウ、北はデンマークという広大な版図を築いたが、その死と共に終わってしまった。

日本人は、モンゴル人が世界最大の領土を築いたのは、チンギス・ハーン、オゴタイ・ハーンだと思っている。確かにその通りだが、その何世紀も前に匈奴(フン族)が、おなじような大版図を築いていることに、騎馬民族の性のようなものを感じる。

オゴタイ・ハーンは、カラコルムの城壁都市を作つくっておきながら、あまりカラコルムにはいなかったといわれている。どうもこの城壁で囲まれていることを好まなかったようだ。モンゴル人は、自然の大きさへの歎美を詩にしてきた。人工のものは嫌った。移動に便利なように必要以上のものは持たず、土は掘り返さず建物を建てたりはしなかった。農耕を卑しい職業として嫌い、馬上で誇りたかく生きていた。

以上、司馬遼太郎の『草原の記』に記されていることである。司馬遼太郎は、書き出しで「空想につきあっていただきたい」と書いている。「モンゴルのことを書いていると、つかみどころがなくて空気のようだ」とも言っている。だから史実としては違うこともあるだろう。しかし、なんとも雄大で心がうきうきしてくる。なんとも魅力的な生き方をしていたものだと感心してしまう。モンゴルも、こうした観点からみるとまた違った顔が見えてくる。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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