「北野武 ジイさんを撮る」と題して、「龍三と7人の子分たち」という映画を撮り、4/25に公開されることを、4/22の朝日新聞朝刊文化・文芸の欄で紹介していた。
北野武へのインタビューの形で書かれていたが、相変わらずの毒舌である。以下、その一部を紹介する。
『いまは年よりも駄目だけど、若いヤツも駄目だね。一番いけないのは「老人は弱いからいたわってあげましょう」という空気があることだよ。シルバーシートとかね。そうじゃないんだよ。年寄りが目の前に立ったら、率先して席を空けて「どうぞ」と言うのは、これが礼儀というか作法なのであってね。可愛そうだとか可愛そうじゃないとかいう問題じゃないんだ。弱いもの扱いしたら、年寄りはペットみたいになっちゃうよ。若いヤツらは自分の方が高みに立って、いいことをしてやったという気分になる。それは違うと思う。礼儀作法と、老人介護を勘違いしているんだ。元気で頑丈な老人に席を譲らなくていい、というものじゃない』
ビートたけしは、散々「老人の悪口」を言って、1980年代の漫才ブームで一躍ときの人になった。「なのにこの言い草はなんだ」と思われる方も多かろう。団塊の世代で、自分もそろそろ老人の域に近づきつつあるから、調子よく自分に都合のいいことを言っているんだと言えなくもない。
しかし、世の中には慇懃無礼という人が多々いる。礼儀正しいが、実は本音はまったく別のことを思っている。それに比べたら、はるかに好感がもてる。ビートたけしは、いつかおれもあんな嫌われる老人になるに違いないと思っていたのだろう。
時代は、人間を均質化し、家庭内でも親も子も同格の存在のようにしてしまった。親が親たらんと振舞えば勝手で横暴だということになる。男と女も本来は、まったく違うのにまるで均質な扱いを受けないと不満が渦巻く。権利としての平等と、人間としての均質性はイコールではない。むしろ、違うということが人間の証であり、違いを理解することでしか対等になれない。
『今の年寄りってのは駄目だね。体のことばかり気にしてる。階段が上がれるようになったとか、健康のために散歩しているとか。そんなことばかっかりだからね。もっと精神的に不良になった方がいいよ。家族から「いいおじいさん」と呼ばれてるようじゃいけない。「はやく死なねえかな、あのジジイ」と言われるくらいでないと。死んだときに、「やっとくたばりやがった」って言われるようなね。そんなジイさんのほうが元気があっていいよ』
なかなかそんな具合にはいかないかもしれないが、まったくもって同感である。