「ペリリュー島」は、去る4月に天皇陛下がパラオ諸島を訪問されたときに同島にもお寄りになり、マスコミに取り上げられたから聞き覚えがある方もいらっしゃると思う。『ペリリュー島・沖縄戦記』(ユージン・B・スレッジ著 伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)は、海兵隊に入隊しブートキャンプでたった3ヶ月ほどの訓練を受けて、あれよあれよという間に補充兵としてペリリュー島に送り込まれた経験を持つ著者の従軍レポートである。
私は、今まで第二次世界大戦の米国人従軍記を読んだことなどなかったので、驚くと共に妙な感覚になった。私も日本人だからだろう。「ジャップ」だの「ニップ」などの呼び方に慣れるのに少々時間がかかった。
“敵味方の双方の死者が発する腐臭に加えて、排泄物の臭いにも悩まされた。ペリリュー島の大半は珊瑚礁岩で覆われているため、ごく基本的な排泄物の処理の手順でさえ実行しがたかった。(中略)さらに、日米両軍の携帯口糧が捨てられて腐る臭いがこれに輪をかけた。一息吸う度に、さまざまな悪臭にみちた熱く湿った空気が流れ込む。(中略)この汚物に埋もれたような状況では、ただでさえ熱帯に多いハエが爆発的に繁殖した。(中略)当時開発されたばかりの殺虫剤DDTが初めて戦闘区域に散布された。(中略)ハエが減じたと感じたことは一度もなかった。”(同書より抜粋)
こういう描写は今まであまり読んだことがない。この著者は、できるだけ感情移入を抑えて事実を書き記そうとしていたように思う。それでも、日本兵に対する赤裸々な憎悪も、しばしば登場する。
“窪みのそばを通りかかったとき、相棒が「なんてことだ」とつぶやいた。(中略)遺体は、腐敗が進み風雨に晒され黒ずんでいた。それは熱帯では当然のことだ。しかしこのとき目にした遺体は、敵の手で切り刻まれていた。(中略)私は、日本兵に対して、それまで経験したことのないほど強烈な怒りと憎しみを感じた。あの瞬間以降、いかなる事情があろうと、日本兵に対して憐憫や同情は一切感じなくなった。”(同書より抜粋)
こういう描写を読むと、なんだやっぱり米国人の感情丸出しじゃあないか。と思われるかもしれないが、これとはまったく逆に、海兵隊員もまた日本兵の遺体に酷い行為をした場面も登場する。そして、戦争に対するどうしようもない怒りが何度も書かれている。繰り返し繰り返しである。
“ペリリュー島への進行の合図を待っていたあの耐え難い拷問のような時間ほど極度の苦悩に満ちた緊張と不安を味わったことはない。(中略)体中から冷や汗が噴出した。胃がキリキリと痛む。喉が詰まってつばを飲み込むのもままならない。(中略)「スタンバイ」誰かの声がした。(中略)「海岸へ急げ」”(同書より抜粋)
上陸の瞬間である。ペリリュー島の戦いで日本兵は10,695名が戦死し生き残ったのはたった34名。米軍は戦死者 1,794名 戦傷者 8,010名 の他に、精神に異常をきたした者が数千名いたと言われている。惨い話である。この後、著者は、沖縄戦に転戦することになる。