違いに寛容な社会

*風のメルマガ「つむじかぜ」538号より転載

ネパールに観光客が戻り始めている。先週末ネパールを訪れた弊社の竹原幹也からそう報告があった。最近は、欧米系の観光客をカトマンズの街でちらほら見かけるようになったそうで、実際、彼も何人も目にしたそうだ。

弊社が取引をする中国の旅行会社の社長が昨日事務所に来られ、既に中国でもネパールツアーを再開させ参加者も増えてきていると話していた。弊社でも、秋以降のトレッキングシーズンが近づく中、ネパールの問い合わせが少しずつ増えてきている。観光客が戻りネパールの人々の笑顔が見られるようになればまずは一安心である。

さて、梅雨があけて暑い夏がやってきた。最近は“熱い”と表現したほうがいいくらいだ。数年前までは、家でクーラーを使うのはよほどの場合で、どんなに寝苦しくてもクーラーを使うことはまずなかった。最近はそうもいかない。“クーラーのない部屋で熱中症!”などという記事を読むと“熱中症になったらいけない”と言い訳してクーラーをかけてしまう。もうそうなるとクーラーなしでは居られない。

しかし、これがクーラー病ということなのか、だんだん体がおかしくなってくる。特に、寝ているときにクーラーを使うと足先が冷える。足に触ると冷たくなっているから驚いてしまう。“そりゃークーラーのせいじゃなくて年を取って血の巡りが悪くなったのさ”と揶揄されそうだが、足が冷えるのがこんなにつらいとは思わなかった。

もう30年以上前になるが、足立区で小学校の事務職員をしていたころ、女性の校長先生から、女性校長会を本校でしばしばやるようになるので毛で覆われた暖かいスリッパを来客用に用意してほしいという注文が事務室にあった。女性は足元が冷えるというのである。

私の先輩の30代後半の男性事務職員の方がこれに応じたが、スリッパで暖かくなるとは思えないからストーブを買いましょうと提案した。校長先生は、部屋は暖かいが足が冷えますからと切々と訴えたが、その先輩は、公費で個人の嗜好に合わせて物を買うのはいかがなものでしょうかと頑固に拒絶してしまった。

校長先生が“あなたは男性だからわからないのよ”と言っていたことを今も思い出す。当時は、私も先輩と同じように思った。足元が冷えるということが理解できなかったのである。しかも、自分の考えが常識で自分が理解できないことは“個人の嗜好”とは、今考えればずいぶん狭量な考え方である。

男性が女性のことを、あるいは若者が年寄りを理解することはなかなか難しい。逆もまたしかりだ。一緒に暮らしたり、何回も接することで体と感覚で理解できるのかもしれない。違いに寛容な社会であってほしいと思う。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

シェアする